超論 石川蓮

超論 21世紀の後半半世紀のニッポンを創る 石川蓮

1 「縦の絆」だけでなく「横の絆」で輝かしい未来を創りましょう!

 大量生産大量消費の時代は、一所懸命、目の前の仕事をかたづけることが目標でした。一所懸命も御恩と奉公と同じ鎌倉時代に出来た言葉です。12世紀から21世紀の今日まで一千年のあいだ同じパラダイムが通用してきたというわけです。「超論 3.10までのニッポン」で述べた「縦の絆」を拠り所とした「攻め」の考えです。

 話は脇道にそれますが、二0一二年度の芥川賞受賞者田中慎弥氏の発言の中に興味深いフレーズが有りました。母一人子一人の家庭で育ったという事ですが 「親孝行なんて考えて来なかった」という言葉がとても興味深く響きました。儒教的な忠義と孝行を大切にする考えとは違います。テレビを見て感じる限りで母上は、この母上という言葉も儒教的ですが、けっしてご不幸という印象は有りませんでした。親子以外に強い絆「横の絆」が有るからに違いないと、勝手に、そう思いました。

 儒教思想は組織を安定運営するには便利な考えです。御恩と奉公、忠義、孝行、一所懸命、いずれも武家社会で培われて来ました。親分子分も同じメンタリティーです。江戸末期には一時期廃れていたようですが、明治政府は中下級武士が中核を担っていたので、儒教思想を上手に使ったのでしょう。

 明治時代に西洋で、武士道が珍しがられるだけでなく重んじられたり、宮本武蔵五輪の書が経営書として読まれたのも当然のことだったと思います。宮本武蔵は戦乱の世に生まれなかったので、剣は剣術あるいは剣法というように洗練された文化になっていました。差し詰め西洋でのスポーツと同じだったのでしょう。勝ち負けが大切、ただ生命がかかっていましたが。。

 生命と言えば、生命は鉄砲の発明とともに自分事として感じられなくなりました。生命が数で表されるようになり、どんどん生命が軽んじられるようになった歴史があります。刃物とは違って、弾丸を撃った人に撃たれた人の痛みを感じにくいからです。大量破壊兵器になればなるほど無感覚になります。人を殺しているという実感が薄れます。

 武士の時代を産業社会という目で見れば、製鉄技術と金属加工技術という技術革新により農業が飛躍的に高効率化したことと裏表の関係になります。江戸時代になって、鎖国により海外の科学技術を .知らないまま過ごしましたが、藩単位の地域それぞれで、織物や木工(有機材料)鉄器(金属材料)陶磁器(無機材料)の各分野の他、食文化が幅広く深く発達しました。明治の開国後すぐに汽船や汽車を製造できたのは、高い教育レベルだけでなく、こういった職人力が培われていたからに違いありません。

 同様に売る技術である商法、マーケティングの面でも西洋各国を大きく凌いでいました。マーケティングという言葉が日本にもたらされて以来、なになにマーケティングが沢山紹介されましたが、媒体技術以外には目新しい事は有りませんでした。すべて江戸時代までに創られた知恵ばかりです。大型ショッピングセンターは巣鴨のような門前町商店街、通信販売やCRM顧客管理は富山の薬売り、近江商人、松阪商人などなどの知恵はマーケティングの全てを網羅して余りある印象さえ有ります。

 これからの時代は違います。いや今までと同じパラダイムでこの難局を脱する事はできないでしょう。東アジアの国々で埋没してしまうだけです。逆に考えれば、韓国も中国も同じ儒教思想が身についています。ですから、日本の来し方、成功も失敗も自分ごととして消化出来るはずです。日本的経済発展をなぞる事に困難は少ないのでしょう。

    司馬遼太郎梅棹忠夫など先人は日本の将来に大きな危機感をもっていました。先人の歴史観と社会観、そして今現実の世界、現地現物現人を深い洞察力を持って見極めた上で大胆な仮説を立てるしか方法は残されていません。意思を持つ際の寄って立つ価値観は、可能な限り私心を捨て人類社会が持続可能な方向性を見つけ出す事を旨としなければなりません。そこには確固とした信念と何物をも恐れない勇気と覚悟が必要となります。

    楽しい時代という反面厳しい時代でも有ります。これまでの時代はあたかも、檻に閉じ込められ自由が限定されつつも餌は与えられていた。今後は餌を自分で見つけなければならない。自分独りだけでなく周りの仲間も餓死の危険性をはらんでいる。自由だが責任の重い時代と考えています。

    独断と偏見しか持ち合わせておりませんが、日本人らしく力を合わせて乗り切り、そして次の時代に託すために、わたくしなりに先ずは仮説をこしらえてみたいと思います。「みんな」でわいわいがやがやを始めてもらうために。。   

・「縦の絆」による攻め一本やりの体制から「横の絆」による守りにも強い体制づくりが喫緊のテーマではないでしょうか。
    
    20世紀は争いの時代でした。インターナショナルやがてはグローバルの時代でした。

 20世紀の前半半世紀は戦争の時代でした。男性脳の時代でした。覇権の争奪そして資源の奪い合いのための時代、戦争の時代で半世紀を過ごしました。第一次世界大戦第二次世界大戦など多くの戦争を経て人類は学習をしたんだと思います。ユーロ圏の確立が象徴的です。

 20世紀の後半半世紀は経済競争の時代でした。目的は違いますが競争で有ることに違いは有りません。男性脳の時代でした。金融経済を人間がコントロールできるようにすることが経済社会だけでなく国際社会の学習すべき課題でしょう。

    どちらも戦いに違いないので、自らの正統性を示すために理論構築に執心つまり理論武装に励みました。あるいは神を持ち出し宗教の力を利用する場合も有りました。イデオロギー、なになに主義、なになに教の時代でした。

 しかし経済学の無力化が象徴しているように、21世紀に入って、過去の経験を元に構築した理論は役に立たなくなりました。歴史が同じ流れで動いていない、延長線上で物事が語れない、予測できないからです。未来を予測する、そのこと自体が意味をなさなくなってしまいました。経済に関していえば、売り場データを網羅的に蓄積集計している日本経済新聞社のようにコンピュータを活用した大量データそのものによる現場把握を根拠として考えることになって行くのでしょう。とはいえクラウドビッグデータというキャッチフレーズに与するものでは有りませんが。。

   文明は男性脳、文化は女性脳に依存する。極めて大胆な仮説を立てますと、
20世紀は文明優位、文化劣位の時代でした。文化が文明尺度で測られ優劣がつけられてしまった時代でした。優劣をつけること、勝ち負けを決めること、そのものが男性脳かもしれません。女性脳は平和や安心、つながりを希求します。

   守りより攻めが優先されてきました。攻撃は最大の防御なり?か。しかし守りが弱いので、無残にも天災に徹底的に打ちのめされました。さらに文明の利器の最たる、原子力にまで製造主たる人間が痛めつけられてしまいました。神の存在を信じている人々はどう受けとめるのでしょうか。近い将来、東日本だけでなく西日本も巨大地震巨大津波に襲われると予測されています。日本人ほとんど全てが他人事でなくなります。しっかりした守りの体制を築いておく必要があります。

   攻めの時代、文明優位の時代。「縦の絆」の時代。それは日本では武家社会の始まりから今まで続いて来ました。だからこそ明治維新をすんなり受け入れる事ができたのではないでしょうか。福沢諭吉学問のすすめが共感を持って受け入れられ、論理的な体系的な学問に偏ってしまったのではないでしょうか。

    攻めにはリーダーを筆頭に一糸乱れない体制が最も力を発揮します。命令系統のしっかりしたピラミッド構造です。ウィンストン・チャーチルが見切っていたように、日本には秀でたリーダーがいないばかりか、軍隊組織も欧米から見れば子供同然のようです。欧米のような契約社会は情が入る余地が少ないので戦いには適しています。

 日本は武士の時代に北条政子の述べた御恩と奉公の小さな上下の三角形「縦の絆」が起源になっています。情でつながっています。御恩と奉公は人と人との関係だから上下の三角形「縦の絆」です。戦国時代に遷っても基本は上下の三角形つまり一族郎党が単位となり、それを連ねてどの大名も組み立てられていました。専制君主的な強いリーダーシップを持った織田信長でさえ、秀吉の一族郎党をかかえていました。秀吉の下に秀次や竹中半兵衛一族とか加藤清正一族が連なっていました。欧米の軍隊とは成り立ちが全く違っていたようです。

 明治維新になってようやく陸軍・海軍は西洋式の隊形が整えられましたが、メンタリティーはそのまま残ってしまったようです。想像ですが、小さな上下の三角形がいくつもできていたと思います。本音と建て前の本質はここに起因していると思います。

 今も変わりません。現在の政党構造を見れば一目瞭然です。自民党政治もいくつかの小さな上下の三角形を積み上げ、派閥としてまとめた形で成り立っていました。これを否定しようとした民主党も本質的には変わりがありません。どれだけ多くの三角形を集めるかが政治を決め手になっています。

 二大政党とはいえ、アメリカの共和党民主党とは質において全く異なります。基本的な理念を異にしています。組織も日本とは違い、利害の違い、契約関係を元にした組織になっていると想像しています。そもそも政党の成り立ちがそれですから。

 日本には大陸とは少し違って圧倒的な権力を持ったリーダーが現れませんでした。何事も「みんな」で成し遂げるというメンタリティーとうまく融合して現在に至っています。

 東日本大震災には今までの体制では対処できません。攻めしか考えていなかったからです。とはいえ官僚組織という、効率的ではあれど形式化しがちな形態が定着してしまったからです。ましてや右肩上がりの時代が続き、攻めかたさえも形式化していました。

 守りに強いかたちとして、ヒントはウエブ型ネットワークに有ります。現在のインターネットに相当する情報ネットワークはフランスに出来上がっていました。大型コンピュータを中心にした放射型ネットワークを持ったミニテルです。しかし防衛、軍事を前提に考えると、センターを複数化する必要が有りますが、いくら分散してもキリがありません。究極の姿が無数のセンターを蜘蛛型ネットワークでつないだウエブ型ネットワークです。ハードウエアの小型高性能化とソフトウエアの多層複雑化が必要でしたが、結果的には極めて効率的な情報ネットワークが出来上がりました。当初は有線でしたが携帯や無線LANなど無線通信も同じ考え方で構成されています。

 エネルギーも同じです。多極型ネットワークを構築していくことで、電気自動車や企業の自家発電機や家庭用燃料電池など多極発電機を構成すれば災害などトラブルにも強い電力ネットワークが出来上がります。余談ですが自動車が電源になるということが発見されたのは中越地震の時でした。現地におもむいた報道用自動車にエスティマハイブリッドが有ったため、電源に困っていたテレビ局の方が自動車の電源を使って、カメラなど放送機器を動かすことができて地震の現地報道が可能になったそうです。

 スマートフォンやスマートシティ、スマートコミュニティーとかコンピュータ利用を目的としたスマートなになに、が流行していてスマートグリッドもその中心にあるかのように見えますが確固たるコンセプトは見あたらないと感じています。技術起点の新しもの好きの仕組みを次々と拵えていくのがアメリカです。日本メーカーでも技術音痴のリーダーはそのまま信者になってしまっているのではないでしょうか。

 今回の震災で地域コミュニティーに注目が集まっていますが、これは人と人との多極連携です。平面型三角形の連携「横の絆」から成り立っています。

 政治や産業の形態も一極集中だけでなく「横の絆」による多極連携を検討する価値があります。

・次の時代への枠組みとして、一極集中から多極連携へのシフト、「縦の絆」に「横の絆」を加えることを検討してはどうでしょうか。



2  ライフサイエンスが「横の絆」を創り、多極連携を促進します

 最も進展が見られるのがライフサイエンスの分野です。医学や心理学そして生物学だけでなく化学や物理学まで動員した総合科学です。ヒトを理解する、より深く理解するのが目的ですので、当然と言えば当然です。全ての学問分野と知恵を総動員します。

  DNAの分析解明は民族や風土の説明に役立ちそうです。

 脳科学は脳内の血流を外から観察できる技術が発達して急激な進展を見せています。多くの仮説が有りますが、一番大きな発見は脳の可塑性です。脳細胞は減少するばかりで年齢を重ねるごとに退化する、というのが今迄の通説でした。脳は柔軟でその根幹をなす神経細胞は極めて柔軟で、脳以外の部位、手足や身体の変化に応じて変わるそうです。しかしどれ程脳内の様子が見えたとしても、脳のどの部位が活性化しているかという事しか分かりません。目など五感の入力に対して脳のどの部位が反応するか。せいぜい、時間的な経過、多段プロセスを経てどういう反応を示すか。その程度です。いくつかの仮説には疑わしいものが有ります。

 脳の研究で信じるに値するそのほかの研究成果は、女性脳と男子脳の際立った差異とミラーニューロンの存在くらいかと考えています。しかし大変な進化です。

 中澤新一氏が対称性人類学という著書のなかで述べていますが、仏教は宗教では無い。これは大変衝撃的でした。わたくし自身はどの宗教も信仰していない、というより、どの宗教も信じているという表現が適切なごくごく一般的な日本人ですが、この一フレーズがきっかけで宗教の事を学びました。自分事として表現すれば、ブッダ、ゴーダマシッダールタの教えは宗教では無い、になります。

四弘誓願(しぐせいがん)誓願というお経が有ります。

A 衆生無辺誓願度 (しゅじょう・むへん・せいがんど)。
B 煩悩無尽誓願断 (ぼんのう・むじん・せいがんだん)。
C 法門無量誓願学 (ほうもん・むりょう・せいがんがく)。
D 仏道無上誓願成 (ぶつどう・むじょう・せいがんじょう)。

わたくし流に解釈しますと

A 生きとし生けるもの全てを大切にしましょう。

B 煩悩をできるだけ抑えて暮らしましょう。周りの迷惑にならないように。

C 学びましょう。智識を蓄積するだけでなく血肉化できるまで深く考えましょう。

仏陀の教えを極めましょう。

です。ゴーダマシッダールタの伝えたかった事の真髄と受けとめています。

ライフサイエンスで説明すれば

人類も哺乳類など動物もさらに植物もDNAの構造に大きな違いは有りません。ちょっとした突然変異を重ねるうちに永い年月を経れば同じです。生きとし生けるものはどれもそんなに違いがあるというわけでは有りません。ミドリムシのように動物にも植物にも成れる生物をみれば分かります。葉緑素を得て光合成の出来る細胞はじっとしてても生きていけます。葉緑素の得られなかった細胞は餌を探して動き回らなくては生きて行けません。従って寿命も植物のほうが長くなり得ます。

人間は独りで生きていけない動物です。ミラーニューロンが活性化する、つまり他人が嬉しいと自分も嬉しくなれる生き物だからです。他人と一緒に生きる以上、自分の好き勝手ばかり言ってていてはうまく生きて行けませんよ。

どう生きたら幸せか、生きている間いつまでも考え続けましょう。少しでも良い明日を迎えるために。

このような教えに従っていれば幸福はいずれ訪れるに違いまりません。


様々な要素や条件、人種や民族、居住地域、年齢、教育など多くの違いの中で最も大きな違いが有るのが女性脳と男性脳だそうです。

どこに国でも生まれた赤ちゃんは、男の子はオモチャ、女の子はお人形だそうです。
男性脳はモノに関心が高く、女性脳はヒト、特にヒトとヒトのつながりに関心が高いそうです。

おそらく「縦の絆」は男性脳、「横の絆」は女性脳の得意とする分野ではないでしょうか。
家の外へ出て行って闘ったり、食料や土地を開拓したりする役割を持った男性脳と、家の中で育児や家事に集中することが多かった女性脳には、それぞれの経験、幾世代も経た経験により刻み込まれたDNAもあるような気がします。

ノーベル賞や世界の発明、歴史上の女性の活躍に注目してみると、男性脳は発見や発明が得意、女性脳は新たな言葉を紡ぎ出すのが得意、
こんな仮説を持ちます。

また女性脳は体験で乗り越える、別の表現で言えば現実的と言われます。
必要に迫られる場合は別として、女性脳はあまり読書をしないような気がします。理由は今が理論の時代だからと想像しています。
そういう意味でこの本は大きな挑戦と考えています。表紙をピンクにしたからと言って女性脳に読んでもらえるかどうか、底辺難しいテーマに挑んでいます。しかし、何かしら、女性脳特有の直感力に期待してはいます。

歴史もドラマ仕立てにすれば女性脳に関心を持ってもらえます。しかしNHKの「龍馬伝」と「坂の上の雲」への女性脳の反応を見ていて分かる事ですが描き方が大切だということも有ります。同じ戦いや戦争でも、女性脳はモノのリアリティーよりヒトとヒトとの関係のリアリティーに関心が集中するような気がします。

「超くるま社会」も男性脳が実際に形にして女性脳に目に見える形、体験できる形態にする必要が有ると覚悟しています。
本を読んでもらうだけで物事が進むとは考えられません。


このようにヒトへの理解が深まる事で多くの学問分野がつながります。先ず宗教と科学がつながります。最も交わりにくいと考えられてきた二つです。多くの学問分野がヒトへの深い理解でステップアップ出来ると感じています。推して知るべしです。多極連携「横の絆」創りが可能です。



























3  多極連携を目指して、まずは二極連携からはじめましょう

 大量生産大量販売から創造的産業社会への転換を目指しますが。今までやってきたことが間違っていたとか、古いから捨ててしまおう、ということではありません。異種併存が日本ならでは日本人らしい「までい」のやり方です。

 経済社会も多極繋がりを目指すべきです。まずはひとつの地域ともう一つの地域がつながり、強味を共有することからはじめます。

 政治も二極、民主党自民党と、選挙つまり競争ばかりを考えず、強味を共有することが可能だと思います。和して同ぜず、という言葉が有ります。民主党自民党と一つになることは好ましく有りません。選んだ国民の気持ちを尊重して欲しいからです。日本ならでは日本人らしい政治を追求してほしいと思います。日本の政治は政治家が良いとか悪いとかいう問題ではなく仕組みの問題だと考えています。原発事故を起こしてしまったのと同じ根深く硬い問題があります。その凝りを丁寧にほぐしていくことが、全てに共通するニッポンのテーマです。

 エネルギー問題も同じです。「いのち」一番ですが最適解を求めてきちんと合意を得ることが大切です。もちろんフクシマの再現は避ける緊急策は別です。多極連携エネルギーネットワークを念頭に置いて少しずつ「までい」の心で組み立てていくことが大切です。






















4 「有ったらいいな」でニッポンの核COREを創りましょう

 コンピュータと通信をあわせた情報技術ITは、新しモノ好きDNA のアメリカで大いに発展しました。どんどん新しい使い方と新しい名称を創りさえすれば、どんどんビジネスになるからです。もちろん全てということではなく成功の大きさは様々ですが。「この技術を使って」何をする、どういうビジネスモデルでどうお金に換えるかに心を砕いた結果です。こういうアプローチは日本人には似合いません。日本人は「あったらいいな」の思いをかたちにしていくのが得意技だからです。

 成功した商品のキーワードはヒューマンインターフェイスです。技術の使い方は同じでも人間との関係つまり、見て綺麗、さわって楽しい、面白い、楽ちんといった商品が大きく成功します。画面に向かって小さな絵をアクセスすれば操作できるウィンドウズ、指でなぞるのがとってもスマートに見えるスティーブジョブスの作品。ハイブリッドも当初は乗っている人はエコ社会のリーダーに見られましたが、経済的な理由もさることながら給油の手間が省けるのが喜ばれました。経済学からはブレイクスルーだとかイノベーションだとか流行語が生まれますが。単純に、モノとヒトとの絆を創ることが喜ばれる、という当然の摂理に基づいています。

 どの商品カテゴリーにもマーケットを創造した核(CORE)商品が存在します。CORE 商品を創ることは意図して創る場合と造ってみて市場ができてしまう偶然の産物もあります。

 日本が創ったマーケットとして携帯音楽プレヤー、ウォークマンが有りますが、ソニー創業者井深大が旅先に大きなテープレコーダを持って行ったことが始まりです。テープレコーダーは録音機として創られましたので、何を録音するかにばかりマーケットが意識されていましたが、録音されたものを再生することだけに限定して使うという、当時で言えば大変贅沢な使い方でした。過去になく世の中に無かったので、これをブレイクスルーと呼ぶのでしょうが、井深大の持ち歩きしやすい音楽再生器が「有ったらいいな」の想いが出発点です。

 即席カップ麺、カップヌードルにつながる安藤百福チキンラーメンも、当時長い行列に並ばないと食べられなかったラーメンを家で簡単に作れる、即席ラーメンが「有ったらいいな」の想いからです。日本では箸がありますが、アメリカには箸がない、フォークで食べられるラーメンが「有ったらいいな」でした。

 ハイブリッドカーも中村健也が「有ったらいいな」で古くから研究開発を進めていて、コンピュータの小型化と低価格化により実現できました。モーターとエンジンふたつの動力源を持ちますのでその使い方を制御する自動機械つまりコンピューターが必須なのです。中村健也は自前で自宅にコンピュータを備えるほどコンピュータに理解が深かったからこそ先が見えました。技術が後からついてきたという特異な事例です。ほとんどの場合「有ったらいいな」の想いを形にする職人力ですぐに製品そして商品に仕立てます。

 ウォークマンカップヌードルハイブリッドカーも、欧米の技術起点からは「有り得ない」と考えられていた商品です。

 アメリカでの日本車マーケットの創られ方には興味深いものがあります。最初に輸出したのは中村健也のクラウンでしたが高速道路で苦労しました。当時日本には高速道路が無いに等しかったからです。最初の成功はダットサンという小型トラックです。大規模農家で重宝されました。フルサイズセダンと大型トラックとトラクターを使って大きな農場を経営していましたが、休日に模型飛行機やらモーターボートやらを積んでふらりと出かけたり、日常の足いわば屋根のついたバイク替わりに使われ広まっていきました。アメリカには新しモノ好きが多いので見てすぐ分かる商品は広まるのも早いです。多くの人が長く使っているうちに故障が少なく壊れにくいことが広まりました。あとに続いた日本製乗用車は安心感を持って受け入れられました。

 もうひとつマーケットを創れた事例があります。パジェロランドクルーザーといったSUVです。車高が高く悪路に強い四輪駆動車はオフロード用に使われていました。トラックと同じと見なされホテルなどには立ち寄れなかったものです。例外として貴族の狩猟用レンジローバーが有りましたが。。名古屋市南区でクラウンとランドクルーザーを持った開業医がいらっしゃいました。使い方をたずねると、ランクルは休日に名神高速をかっとばす、そうおっしゃいました。ランドクルーザーのワゴンタイプを乗用車に近いものにするモデルチェンジ構想がありました。中近東やアフリカでは道路が十分に整備されていないので、使い方は高級乗用車として、でした。国内マーケットを創れるか議論が白熱していましたが、「あったらいいな」と思えるお客様が現に存在する、だから「やってみよう」でした。

 その後パジェロなど同じカテゴリーの商品が現れ、SUVスポーツユーティリティヴィークルと名づけられました。パジェロなどはスタイリッシュでしたので、セダンに飽き足らない若者にはファッショナブルに映りました。

 しかし一過性の流行ではなくマーケットとして確立した理由がずっと長らく分かりませんでした。分かったのは最近の脳科学の進歩からでした。人間の脳は見ることから最も大きな影響を受ける。動く景色は脳にとって嬉しく刺激的なものだそうです。

 もうひとつヒントは舘内端の著作にありました。T型フォードが爆発的に売れた理由、言い換えれば乗用自動車が爆発的に浸透した理由です。運転席に乗ったドライバーも横に座った同乗者もフロントウィンドウに流れる動く景色がとても新鮮で嬉しく刺激的だった、ということだそうです。

 では何故日本で広がったのか、答えは高速道路に有りました。欧米のハイウエイのサイドウォールはとても低いのです。高さの低い乗用車でも十分に動く景色を楽しめます。しかし日本の高速道路は背の高い自動車でないと景色が楽しめません。加えて渋滞が多く、低い自動車では閉じ込められ感が強まります。レクサスはアメリカで日本名ハリアーにより台数的な成功を収めました。スタイリッシュなSUVという新しいマーケットを創造しました。

   ニッポンはいくつも産業の核COREを創ってきました。トランジスタラジオ、ウォークマン、ビデオ、カラオケ、カップヌードル鉄腕アトム、ノート型パソコン、小型乗用車。。。これからも創っていけるはずです。

 創造力あふれる人にとっては楽しい時代になってきました。決まり切ったことを間違いなく行うことより、過去にない世の中にない何かを探したり創り出したりすることが世のため人のためになる、そんな時代の到来です。これまで未来は予測するものでした。情報をくまなく集め、細心の注意を払い論理的に分析すれば未来が予測できました。逆に創造性豊かな人にとっては退屈きわまりない、そんな時代でした。決まり切ったことや、間違いなく片付けるにはコンピューターやコンピューターを使った機械つまりロボットにまかしておけば済む時代が目の前にあります。

・日本流の創造は「有ったらいいな」という想い、真心を形にすることではないでしょうか。そして「までい」真手でこしらえる。ニッポンには名人がたくさんいらっしゃいます。






















   いくつかの心に留めておくべき日本人の心情が有ります。

ヒトの行動は、気持ち、想い、から発します。情動の強さでも有り、心ならずも。。と言う弱さでも有ります。




「おもい」真心を「までい」真手で

 物にも心を感じる、生きとし生けるものを大切にする。
創造力を発揮するにいたる動機が、物への感謝であったり生き物を大切にする気持ちであったりします。これは日本人ならではないでしょうか。「柿ノ木をかわいそう」と感じたり「柿ノ木に感謝する」「柿ノ木を活かす」新聞バッグも「川の生き物が困る」と感じることがはじまりになりました。環境という言葉はいつからか、環境問題というような使われ方になりました。「もったいない」とか「かわいそう」といった気持ちで周りにある生きとし生けるもの、動物であれ植物であれ、をあまねく大切に思う気持ち。これは人類の生存があぶないから環境を守る、という環境問題発想とは少しニュアンスが違うと感じます。



「みんな」で一緒に考えて「やってみる」

 男の石鹸はおばあちゃん仲間、新聞バッグはおばちゃん同志で工夫し作ってみました。エマミュエル・トッドの人口分析学による分類では日本人は家族主義では有りません。家族も大切ですが地域の仲間を重んじて、助け合いをする行動が身についています。折り紙のワザを買物袋に応用するのもユニークです。




心意気   心の粋ですね、

 新聞バッグ、海外からの引き合い、多分お金儲け的にはオイシイ話だったでしょう。しかし本来の目的エコから考えて「おことわり」。トランジスタラジオをアメリカに売りに行ったソニー盛田昭夫がブローバ社に10万台のオファーにも関わらず、OEM(相手先ブランド)を「おことわり」した心意気に通じます。お金より心を大切にする日本人の気高い気風ではないでしょうか。




海外から来るものは良いものという発想

 後日談ですが、新聞バッグ。海外からの反響が相次ぎ、そのため国内でも盛り上がりを見せ始めたそうです。航空会社グループがファーストクラスの古新聞を集めてお洒落な買物バッグをこしらえようという動きが起こってきているそうです。大陸の米文化の到来にはじまり、中国・韓国文化そしてヨーロッパ文化と、日本人は舶来ものを重く受け止め、しかしきちんと咀嚼して内在させて育ててきました。



それぞれ良い面と悪い面が有ります。
しかし日本人として自覚しておいたほうが良い事だと考えています。

こころしておくべき事、と言う訳です。


おわり

超論 石川蓮

超論 3.11を起点に創る新しいニッポン 石川蓮

・被災者の皆様におしえていただいたこと「いのち」「まごころ」「ふるさと」 の大切さ

「カネやモノより大切なことがある、心豊かな生活、支え合う絆、そしてふるさと」

 一年前の3.11、着の身着のまま避難所ヘ 、家ごと全ての物をさらわれてしまった被災者の方々には衣食だけでなく住、そしてさらに職まで失ってしまった方が多かったと聞きます。

それにも関わらず、取り乱すことなく礼節を守っていらしゃいました。海外からは驚嘆の言葉が寄せられました。

中国に、衣食足りて礼節を知る、という言葉が有ります。衣食が足りていないと礼節というものは分からない、と読めます。アブラハム・マズローなど欧米の欲求階層の考え方も似ています。衣食足りること、つまり経済的な充足を前提とする考え方、カネが前提の考え方、これは大陸のものかも知れません。

衣食さらに住足らずとも礼節を守る、これが日本人だと知らされました。

星野哲郎は、ボロは着ててもココロの錦、どんな花より綺麗だぜ、と残しました。金峯山寺の田中利典氏はおっしゃいました。地震による福島原発の事故や、うち続く災害でわかったことがあります。それは効率優先という名のもとの経済発展がもたらした、豊かさが持つ危うさであり、自然への畏敬や大地への祈りと感謝を忘れた行為の愚かさでした。

「雨にも負けず     宮沢賢治
雨にも負けず  風にも負けず  
雪にも夏の暑さにもまけぬ  丈夫なからだを持ち  
欲はなく  決していからず  いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と  味噌と  少しの野菜を食べ
あらゆる事を  自分を勘定に入れずに
よく   見聞きし  分かり  そして  忘れず
野原の松の林の蔭の  小さな萱ぶきの小屋に居て
東に病気の子供有れば  行って看病してやり
西に疲れた母有れば   行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人有れば  行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟が有れば  つまらないから止めろと言い
日照りの時は涙を流し  寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボウと呼ばれ  ほめられもせず  苦にもされず
そういう者に   私は成りたい

心豊かに生きるとはこういうことではないでしょうか。宮沢賢治は被災地岩手の出身です。

ほんとうの豊さとは何かを考えなおす機会をあたえていただきました。
最近の日本人はココロよりカネを求めて来たように感じます。欧米を手本とするあまり日本人の大切なものを忘れてしまっていたのではないでしょうか。

   家を失い町を失った方々の多くは、所は変わっても一緒に住みたいそうです。

家族を亡くし天涯孤独になった高校性が、廃墟と化してしまった町の復興に自ら進んで立ち向かおうとしていると知りました。

都会に住むわたくしどもが家を失い職を失いさらに家族まで失ったら生きていけるか。自問自答してみると、難しいように感じます。

一方で感受性豊かな都会人は、生活を家庭第一にしたり、カップルは結婚へと進め、まずは家庭のつながりを強めようと感じ取っているように見えます。
家族との心のつながり、地域での心のつながりを見つめ直す機会をいただきました。

   近隣諸国との対比で、日本は家族主義ではない、必ずしも血族や家族を最優先に考えない民族と言われます。

これは必ずしも血族や家族をないがしろにするという事ではなく、地域のつながりを大切にしているという事と分かりました。

心のつながりは共感から生まれます。全ての日本人に共感できる豊かな感性は有るか、同じ日本でも都会人の全てに共感する心は有るか、疑問に感じました。テレビに映し出される人達の震災後の眼差しでそれを感じ取ることができました。情感が瞳に宿るアナウンサーとそうでないアナウンサーがいました。がんばれ東北、の声が空々しく聞こえる人が有りました。

近年の研究で、悲しみを共有した経験の無い人には、悲しみばかりか喜びも怒りも共感出来ない事が分かって来ました。

また、机の勉強ばかりで過ごした人には他との比較でしか自分を評価できない、それも優越感と劣等感のどちらかしか無い、という事も分かって来たそうです。

日本の教育は知識をためる事、そして競争をルールとしてきました。社会も勝ち組と負け組、二極化の兆しが有ります。人と人との共感を得る機会がとても少なくなったような気がします。

   GDP(経済指標)ではなく幸福度あるいは希望が大切と言われるようになりました。幸福度を国民指標にしているブータン。来日された国王夫妻はすがすがしい気持ちを与えてくれました。さながら涼風が通り過ぎたようでした。

自然災害の多い日本で生きるにはもっと根源的なものが求められそうです。少なくとも日本で大切にすべきものは、経済指標でも、数字で測れるような幸福や希望、といったものではなく存在としてのヒトに必要不可欠な心のつながりではないでしょうか。

そして、それを形成させる共感力ではないかという気がします。

たび重なる自然災害、さらには東南海大地震とか北海道沖大地震といった巨大地震の可能性が有る今、ヒトが生きるために最も大切なものを養う必要が有ります。

いまだに先の見えない東北の方々に幸福はおろか希望といった言葉はまだまだ似つかわしくないと感じます。しかし、総体としてですが、たくましく生きていこうというエネルギーはひしひしと感じとれます。

ものごとの本質は極限状態でこそ分かると言われますが、正にそのとおりです。 切羽詰まった情況で最も大切なものは何か。何も無い状態で困難に立ち向かっていく力は共感できる仲間の存在ではないでしょうか。

ソーシャルネットワークなどで心のつながりがつくれたと勘違いしてしまいがちです。秋葉原殺傷事件の若者はネットを通じた強い結びつきが有ったようですが、家族や友人との心のつながりが乏しかったようです。リアルに目と目をあわせて気持ちを通じ合うことで強い心のつながりができます。

職場や学校が競争の場になってしまい、真の仲間をつくる場としては頼りない存在になってしまいました。財政状況そして日本人の政治能力の弱さから考えると国や自治体にこのことを依存出来そうもありません。新たなムーブメントを興す必要を感じます。

 「までい」という素晴らしい言葉を知りました。福島県飯舘村です。

飯舘村福島第一原発の30キロ圏外ですが、高濃度放射能のため全村避難になっています。

飯舘村は「までいライフ」を掲げています。心を大切に、ニッポン人の基本を見直そう、大量生産大量販売大量廃棄から抜けだそう、今までのような東京を目指した無いものねだりをやめて、有るもの探しで地方からニッポンを立て直そう、と訴えて活動をされてきました。
それがいま全村避難でふるさとを追われています。

SPIIDOという放射能汚染予測システムでは原発事故後の早い時期から飯舘村の危険性は分かっていたそうです。本来ならば国への避難や泣き言を言いたいところでしょう。放射能を浴び身体の荒廃が進み、更に心の荒廃へと進んでいるそうです。

厳しい境遇に有りながらなお訴えていらっしゃる「までい」です。なんとか全国的な大きなムーブメントに強く強く思います。



・大震災そしてフクシマが教えてくれたこと


「文明の大転換」経済至上主義から人間至上主義ヘ

   原発事故により、多くの方々のかけがえのない生活そして故郷が失われてしまいました。さらに放射能汚染の危険性が今なお続いています。

フクシマを見て世界は原子力発電の位置づけを大きく変えました。地震が無い国でさえ脱原発を決めました。経済発展やそのための効率追求より、生命の安全と生活の安心を選ぼうとしています。近代文明は第二の転換期を迎えようとしています。
 
不幸にもそして偶然にも、近代文明の第一の転換期、科学技術を軍事利用から平和利用へと向かわせたのはヒロシマナガサキでした。日本でした。

 経済至上主義から人間性至上主義への転換が求められています。
しかし、エネルギーも問題をないがしろには出来ません。日本人全ての人に大きな問題が突きつけられています。

原発事故だけでなく自動車も人々に災難と恐怖を運びました。今回の震災で自動車が凶器になったところが有ります。津波で流された自動車に轢かれたり押し潰されたばかりか、津波で押し寄せた自動車が発火し避難場所(石巻市門脇小学校)が炎上したりしました。

もともとエンジンという重くて熱い金属の塊を載せていますし、点火だけでなく引火による爆発火災の危険を持つ揮発油を搭載しています。ひとたび事故が起きれば、その熱く重い塊が吹っ飛んできたり、自動車が火だるまになる危険性を持っています。勿論そのリスクを最小限にすべく自動車メーカーは不断の努力を払ってきました。堅牢なボディーや非常時に乗員を守る構造を持った安全車が増えていますが、多くの道路で乗用車と大型トラックや大型バスが走っています。考えてみれば危険この上ない状況に日常的に直面しています。概念的本質的には原発と変わらない危険性を孕んでいます。いずれ交通システム全体としての見直しの必要性が求められるに違いないと感じます。

 原発や交通システムなど文明の利器だけでなく、人間が作ってきた様々な制度・決まり・仕組みも人間至上主義への転換が求められています。

縦割り組織や、様々に決められた制度が今回の震災復興のあしかせになっているようです。網の目のように張り巡らされた法令でがんじがらめ、縦割り行政ともあいまって復興にブレーキをかけています。

文明の利器全体について再点検をする良い機会が与えられました。
法律や制度など社会を運営する仕組みも、緊急時に大丈夫か再確認して置く必要が有ります。

どちらも人間生活を便利に効率的にするように考えれれて来た文明そのものです。いま文明の大転換が求められている、と感じています。



「日本の大転換」規模=量の経済から質=創造の経済へ


 東北がそして日本が世界の製造業の首根っこを押さえていたことが分かりました。自動車産業だけでなく、世界の多くの産業に支障をきたしました。

これが白日の下に晒されてしまった以上、黙って見過ごされるはずはありません。日本以外の場所で同じ部品を作れるように算段するに違い有りません。

同じような産業を他の国で始められたら価格競争に陥ります。
日本の産業の競争力が試されます。

価格競争の泥沼に陥らないために、真に無くてはならない、代替のきかないモノづくりに特化していく必要に迫られます。創造力がないと生き延びて行けない時代が到来します。

もともとメイドインジャパンは海外ではとても賢い、創造性豊かなモノと受けとめられていました。トランジスタラジオ、ウォークマンやカラオケ、カップヌードルにショウユソース、そしてハイブリッドカーなどニッポンは多くの画期的な商品を創りだしました。

さらに日本食ポップカルチャーも世界の人々の生活にブレイクスルーをもたらしました。日本文化への注目度は高くなるばかりです。

 大量生産大量販売のアキレス腱も露呈しました。大量生産大量販売は走り出したら止まれないことが分かりました。大量生産大量販売が停止したら利益が出ない、企業が成り立たないということです。

しわ寄せは弱いところに最初にきます。今回の震災で多くの中小企業の倒産をもたらしました。日本にとって致命傷になるのは、産業の生命線である職人力を傷めてしまうことです。

見逃せないのはむしろこちらです。中小企業の現場の強さを失ってしまったら大企業そのものが立ちゆかなくなるのは目に見えています。

大企業依存でなく自立できる中小企業にすること。これは簡単なことでは有りません。人間至上主義で考えれば余計に大きな課題が有ります。倒産リスクの少ない大企業のサラリーより、倒産リスクが大きくかつ創造力を求められる中小企業のほうがサラリーが低いという本来的な矛盾が有ります。

   就職難の時代が続いています。名目上の失業率はさほど高くなくても心理的な失業率つまり望む職業に就けない若い世代が多数発生し、能力を発揮できていない若者を多く抱える日本経済にとって大きなロスになっています。

高齢化で就労者数が少なくなっていくのと相俟って、日本にとって重大問題です。高齢者への年金を若い世代が負担することが心理的な負担、先行き不透明どころか先行きの暗黒を暗示させています。働く高齢者を増やすことも喫緊の課題です。

最も深刻な問題は希望の持てないことです。若い世代に夢と希望の持てるニッポンを取り戻さなくてはいけません。

 戦後の日本はアメリカを目標に頑張ってきました。グローバル化と言葉は変わってもアングロサクソン流のやり方であることは不変です。

自殺者数の増大が象徴的ですが、頼れるのは自分しかいない、個人間競争という社会ストレスの大きなやり方です。和をもって尊しとしてきた日本人には似つかわしくない競争社会です。

必ずしも集団主義ということでは有りませんが、競争より協奏、力を合わせて一緒に目標を達成していくことが日本人は得意です。

農耕民族と狩猟民族、とステレオタイプに語るつもりは有りません。明治維新から数世代を経て日本人のDNAにも変化を来しているはずです。

しかし海外の人々から日本人を見ると、他の国の人々に比べ民族性つまり人間性に大きな変化はない、というのがもっぱらの見方です。まだまだ間に合います。

明治維新以降、そして戦後、相当大きな無理をして近代文明を取り入れ、国際社会の中で頑張ってきました。世界記憶遺産であらわになった炭鉱で働いた人々の悲惨さ。女性の過酷さは目を覆いたくなるほどです。男性と同じ労働を強いられたばかりでなく、育児や家事一切まで背負わされていたそうです。電化製品など何も無い時代に!(山本作兵衛さんの画文集、炭鉱に生きる)

そして近年その実態が少しずつ明らかになってきた太平洋戦争中の第一線兵士の人間性を無視した扱い。

いっぽう明治になっても、江戸時代から金の鉱山で働く坑夫は職人として強い誇りを保っていた。彼らは炭鉱に来ても凛とした風情で他を圧倒した、と書かれています。

日本人は人間らしくない生き方を、明治以来してきてしまった。中小企業や女性といった社会の弱者に犠牲を強いた経済発展でした。

 日本の大転換は、量から質、大量生産大量販売型産業から創造型産業への転換です。

創造力を働かせる事は容易では有りません。真似をしちまえばよいと考える人々が海外にたくさん存在するからです。

創造性に舵をきったら創造性で走り続けるしか有りません。しかし真似をされたら、その先の新しいやり方を創れば良いだけです。

今までは大量生産大量販売で走り続けてきましたが、その走り方を創造性に切り替えることです。

どちらにしても国際社会で生き延びるには走り続けるしかない訳ですから、得手に帆を上げる、日本人の得意なやり方で生きる方がストレスが少なくてすみます。    

これまで掲げてきた課題は従来の産業構造の中では解決困難です。政官民、日本の社会人全体で取り組み産業構造そのものを変革しないと解決できない重い課題ばかりです。



「海外から評価されると気づく日本人」

 東北出身の井上ひさしさんが述べています。「日本人は、自分の国が一番いいとは思っていないのですね。絶えず、いいところは他にあると思っている。」(日本語教室)

だから今回の大震災の困難の中で礼節を守る日本人を海外メディアが絶賛して初めて、被災者の方々の素晴らしさに気づく。残念ながら、そういう部分が有ります。

古来から、日本は世界で一番強い文明を勉強します。世界で初めて印刷技術を発明した当時最先端の中国文明、ヨーロッパ文明が発達を遂げれば信長たちが受け入れ、鎖国をしても当時世界をリードしていたオランダ、明治以降のイギリス、フランス、ドイツそして戦後のアメリカと、詳しい説明を要しないと思います。

 もし黒船が来なかったらどうなっていたでしょう。江戸末期、北海道や北陸、沖縄に外国船が出没し江戸幕府はそれを知っていました。しかし見て見ぬふり、これも日本人の悪い習性ですが、都合の悪いことは無かったことにする。日本の表玄関、参勤交代制度を通じ全国への情報網を持つ東京湾の鼻先に現れてしまった黒船。これで尊皇攘夷運動が生まれ、近代文明を受け入れる大きなムーブメントになりました。

 1980年代以降の空白と呼ばれた時代も、敗戦以降、戦後の復興、高度成長期、そしてジャパンアズナンバーワンとまで呼ばれるまで一目散にアメリカ文明を追いかけて来て追いついたと感じた瞬間、自分たちの進む道を見失ってしまった、と言えます。

 次の時代を創るとき、国内からの発信よりも海外からの発信をあえて創り出す。今度は自ら黒船を創るやりかたが最も効果的に違いありません。

古くは絵画のイノベーションである印象派の火付け役になった日本の浮世絵、そしてポップカルチャーの創成に日本の映画や漫画、アニメーションが役立ったように、日本の文化が世界を動かす可能性を持っています。どちらも日本人自体とは関係なく。。。

素敵なニッポンを創るヒントはここに有ると感じます。日本文化に根ざした新たな文明を海外から発信することで日本そのものが生まれ変わる、新たな道を踏み出す。


・3.11を起点として

   宮城県気仙沼市階上中学校卒業式−梶原裕太様の答辞から力をもらいました。
『階上(はしかみ)中学校と言えば防災教育と言われ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私達でした。しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私達から大切なものを容赦なく奪っていきました天が与えた試練というにはむごすぎるものでした。つらくて悔しくてたまりません。しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助けあって生きて行くことがこれからの私達の使命です』彼の力に成りたいと心から思いました。

   喉元過ぎれば熱さを忘れる、災害の多い風土だからという側面も有るでしょう。嫌なことは、無かった事にしよう、という方法も身につけてしまいました。

震災から一年です。今も困難に立ち向かっていらっしゃる方は数多く有ります。マスコミへの取り上げられ方が激減した事も影響しています。

しかし、あの日から毎日午後2時46分に欠かさず祈りを捧げている田中利典氏に続ける事の大切さを学びました。河瀬直美氏は半年前の9.11 にA sense of home  という世界のムーブメントを引き起こしてくれました。かけがえのない大切さを人類全体で考えるきっかけをお創りになりました。いま新しい3.11を迎え、今度は次の新しいステップを踏み出しませんか。


NHKテレビ「NHKスペシャル シリーズ原発危機」をつぶさに見ていると、原発事故は特定の人や組織の責任にできない事が分かります。

フクシマを防ぐ分かれ道はいくつも存在しました。
仮説として申し述べたいのは、責任は「みんな」だったという事です。そして経済一辺倒だったという事実です。

原発事故を回避するチャンスは幾度となく巡ってきた。「想定外」「起こるはずが無い事故が起こってしまった」では済まされない。

しかし、これをひとり電力会社や政府の責任と他人事で済ませられるとは到底思えない。日本人の問題、国民性。さらに文明開化以降近代文明を信じてきた歴史の流れを振り返り点検する必要が有るのは疑いがない。

利器と呼ばれた文明つまり科学技術の使い方を根底から考え直さなくてはならないと強く強く感じます。

超論 石川蓮

超論 3.10までのニッポン 石川蓮


1    右肩上がりの時代は終わりを告げました。 時代の変わり目に我々は立っていると思います。

 明治維新以降日本人は、文明開化を旗頭に坂の上の雲を目指すがごとく遮二無二前へ前へと進み、一旦は太平洋戦争敗戦での挫折を経験しましたが、再び立ち上がり戦後の復興、そして経済大国へとのしあがりました。ソ連崩壊後はアメリカに次ぐ経済大国と自他共に認める程になりました。つかのま中国に譲りましたが。。
バブル崩壊以降の失われた時代が、もしかしたら底を打ったか、という期待を持ち始めたところに東日本大震災に見舞われました。

 海外では周回遅れの国々が経済力を高め、量の面で日本を凌ぐのは明らかです。人口も多い国土も広い、中国だけではなくインドなどを含めたBRICSと呼ばれる国々が右肩上がりを続けているからです。

 心配は量の面だけではないという気配も有ります。日本のお家芸と言われた電気産業や自動車産業の分野で日本のメーカーに取って代わる強いメーカーが現れてきました。質の面でもあやうい状況が観て取れます。

 国内の情況はといえば、国の借金は途方もないくらいに膨らむ一方で経済は停滞を続け返済の見込みが立たない状態、人口減少や若年労働者の激減など統計的数量的に見るかぎり、暗澹たる黒い雲が行く先をはばんでいます。気持ちの面でもすさんでいるようです。毎日100名の方が自死を選んでいる勘定になります。若い人には夢も希望もないと報道は伝えています。質の面でも弱っている日本です。坂の上の白い雲を目指していたが、いつのまにか暗雲が垂れ込め視界は狭く見通しが効かない場所に来た印象です。

 現在のニッポンの置かれた情況をどう考えるか。大きく二つの立場が有るように感じます。

一つは日本のモノづくり力を持ってすれば、アジア諸国、なかでも韓国や中国といった東アジアに十分対抗できるという見方です。

もう一つは時代が変わった、従来のやり方では通用しないという見方です。しかしながら政治が問題だ、という立場の方が多いように感じます。

 私のよって立つところはこうです。私の時代認識です。
時代が変わった。今までのやり方は通用しない。

モノづくり力だけに頼ったところで国際競争力を保つ事ができるとも思えない。経済だけでなく、ニッポンの在り方やモノの考え方そのものを変えないと立ち行かない。

しかし世の中を変える力は、制度を変える権力は政治が握っている。明治以−096jy、g降のように政治がリーダーシップを発揮してくれれば進めやすい。ところが政治はかつてのような力強さを失っている。仕組みそのものが機能しなくなっている。一番の課題は、国民から信頼されていない事だ。

 信頼の無いところに絆は生まれません。ひとりひとり変えようとする想いを持った人達が絆を創りなおして、一個一個積み上げていくしか方法は無いと感じています。ニッポンは「まごころ」をつないで「みんな」で困難を克服していく。これが日本人らしやり方だからです。


 まずは大量生産大量販売の経済の本質について考えてみたいと思います。 

                                               


2 まずは産業革命の時代までを遡ってみます。わたくしの結論は、産業革命当初と本質は変わっていない、歴史の速度だけが違う、ということです。

 第二次大戦まで、ニッポンは西欧列強を目標と定め、追いつき追い越せでやって来ました。西欧各国の中で最も強い国を手本にしてきました。法制度の整備、医学、数学、物理学、化学など自然科学そして技術それぞれに一番優れた国を選んできた歴史が有ります。

 江戸時代、国を閉ざす直前はオランダを選びました。当時最先端の国でした。鎖国をしている間に、西欧はオランダの時代、スペインの時代、フランスの時代、イギリスの時代へと変遷していました。末期にはアメリカの時代も始まりかけていました。江戸末期、多くの人々は当初オランダ語をこぞって学びました。オランダへの窓だけが開かれていたからです。やがて英語に大きくシフトしていきました。なぜならイギリスから産業革命が興り、急速に技術革新が進んでいて、イギリスそしてアメリカが最先端と分かったからです。

 産業革命とは何だったのか。私は教科書で、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関が産業動力として生産性を際立って向上させた、と学びました。今となっては、少し違うのではないか、と感じています。大量生産した物資を運ぶ物流と、それにも増して情報を素早く伝える通信の発達がより重要ではないかと感じるようになったからです。鉄道敷設には時間がかかりますので、蒸気船が果たしていた役割は、物流手段にもまして通信手段として、とても大きかったのではないかと思います。
 
 明治維新を考えると、情報伝達の速さが無かったら明治維新は成功しなかったのではないかと思えます。薩摩と長州が維新の推進者、それも西郷隆盛木戸孝允といった中下級武士が中心となって動かしていたからです。彼らには上司がいました。島津氏、毛利氏という藩主、大名です。何事も上司に諮って了解を得なければ進みませんでした。意思疎通をはかるためには江戸や京との行き来を頻繁に行わなければなりません。いっぽう江戸には黒船が押し寄せ、アメリカだけでなく、イギリスやフランスもやってきています。時々刻々と情勢は変わります。それぞれの国の思惑が違っているだけでなく、各国が幕府と薩長のパワーバランスを推し量りながら戦略を練りつつうごめいているからです。現在のように情報通信やテレビ、ラジオも無い時代です。新聞すら有りません。そういう時代に最も力を発揮したのは蒸気船でした。現在は東海道が日本の大動脈ですが、そのころは瀬戸内海が大動脈でした。平清盛が切り開いて置いた海の道、その道を使っていたのです。西郷隆盛は何度となく瀬戸内海を往復してネゴシエーションを行っています。京と鹿児島の間です。当時、藩と藩は別の国でした。陸路で京から鹿児島まで行くには多くの藩を一つ一つ通る必要が有りました。蒸気船は一足飛びで目的地に向かうことができました。今の時代で例えれば飛行機と同じです。

  情報の流れが歴史の速度を決めています。理由は明快です。歴史はヒトが創るからです。ヒトの脳が情報を処理して出力として手足を動かすからです。
 現代は情報時代と呼ばれていますが、産業革命以降、本質は何も変わっていないのではないでしょうか。


3 鉄の文明の始まりまでを遡ります。わたくしの結論は「攻め」に重きを置く「縦の絆」にずっと頼ってきたと、ということです。

 大量生産大量販売の経済のはじまりはどこまで時代を遡ればよいか。つい最近までも産業の米と呼ばれてきた鉄の歴史を振り返ってみようと思います。

 製鉄技術が広まって,日本では米の生産性が飛躍的に向上しました。鉄の無い時代、土を耕すにも山を切り崩し新しい耕地を開墾するにも石と木しか有りませんでした。鍬など鉄製の農機具が出来てはじめて産業としての農業が始まったのではないでしょうか。それまでは自給自足つまり狭い地域ごとの経済社会なので、業という呼び方さえ無かった時代です。鉄により、自分たちの生活必要量以上に収穫が可能になり経済そのものが始まりました。同時に武器としても鉄は技術革新をもたらしました。

 時代を下り武家社会へのシフトに焦点を当てます。平清盛が生きた時代以降です。
大陸とは違って日本は和を尊ぶ安定した社会が出来上がっていました。奈良時代以降の天皇を核COREとした社会です。ですから平安時代まで武士の役割は「守り」でした。貴族に養われ荘園など貴族の生命や財産を守る役割でした。

 平氏、源氏という武士の組織化が軍事力としての武士、つまり「守り」だけでなく「攻め」も可能な体制を作りました。平氏は、それまでの貴族政権体制の枠組みの中でしたが、源氏は幕府という武家独自の政治体制を築き上げました。武士道と呼ばれるまで洗練されるには時間がかかりましたが、「御恩と奉公」という組織理念を示し、その後の武家組織の形態を決定づけたのは北条政子でした。

 「御恩と奉公」は、西洋の契約と違って、心と心のつながり、それも上下関係の心のつながり「縦の絆」を形成し、現在までの日本人のメンタリティーに支配的な影響を与えています。端的な例は派閥の領袖と派閥構成員の関係です。武士の場合は武器と生活財が心の代償でしたが、議員の場合は選挙に勝つ地盤看板鞄が心の代償になっています。日本の政治体制を変えにくいのはこのメンタリティーの存在です。西洋は理念と契約の世界ですから革命も容易ですが、日本の場合はそうは行きません。御恩と奉公に根ざす「縦の絆」が連綿と続いています。

 明治以降になっても、宮本武蔵五輪の書新渡戸稲造の武士道が経営書として海外でも尊重されるのは、現在の経済社会でも武士の志向、つまり「攻め」の方法論に役立つからと考えています。

 整理します。大量生産大量販売のメンタリティー、競争の精神は、ニッポンで考えれば武士の「攻め」の精神から来ていると考えています。そこへ今回の東日本大震災を照らし合わせて見ると分かりやすくなります。たびたび引き合いに出される千年前の貞観地震、特に巨大津波の災害が起きていました。千年のあいだ日本人には十分な「守り」が出来ていたとは言えません。武家社会以降「攻め」ばかりに心を奪われていたから、と私は考えます。

 大きな災害に遭って力を発揮したのは絆です。「横の絆」です。縦の絆は攻めに役立つものですが、横の絆は守りに役立つのではないでしょうか。

4 これからは守りのための「横の絆」も基軸にした新しい社会を創らないといけない、と確信します。

 日本企業は家族主義を標榜して高い組織力を備え、国際的な競争経済社会の中でも存在感を示して来ました。家族という言葉を使いながらも心情としては武家社会の御恩と奉公に根を持つ「縦の絆」ではなかったでしょうか。財を心の代償としてきました。
 
 東日本大震災のような大きな災害が大都市で起きたらどうなるでしょうか。もしも会社が社屋や設備もろとも消失し社員はバラバラに、そして更に家族まで失った時。自分は生きて行けるか、自問自答してみました。東北の被災者の方々の心情が私共には到底想像の及ぶものでないことは自覚しています。理解できないという前提です。しかし報道によれば、地域のコミュニティーが力を発揮しているのは間違いないと思います。私共には会社と家族以外に絆が思い当たりません。財を代償としない心の絆「横の絆」を見直さなければならないと感じています。


5 右肩上がりの時代は予測出来た時代でした。

 競争の時代が続いています。武力、軍事力を使った時代から、物量つまりカネと言葉を使った戦いに変容をしてきました。けれども競争の時代という意味では同じです。ペンは剣より強し。ペンの力すなわち言葉も人を傷つけます。

 競争の時代に守ってばかりでは負けてしまいます。攻めが重要なのは言うまでもない事です。競争の時代には、勝つため相手を攻める正当性が必要です。理論構築が重要です。競争の時代は理論の時代と言えると思います。

 現在の科学技術の大半はニュートンの力学の法則をもとに計算され設計されています。質量に加速度をかけると力が計算され、これに微分積分などの演算手法を組み合わせれば機械設計はできます。電気の世界も同じです。化学の世界は物質の組み合わせが無数に有るので、まだまだ未解明な部分が残りますが、一定の法則が見つかれば多くの現象を説明可能、という点では物理学の世界と同様です。経済学も同じ発想で発展してきました。過去の事実から仮説を立てるという手法です。

 理論構築は積み木のようなものです。下から積み上げて上まで完璧に積み上がる理論は数少ないです。しかし学問の世界では、なになに理論というものを組み立てた人が評価されました。しかし時が過ぎればおおかたの理論は破綻します。事実のよって覆されるのです。最も衝撃的なのはアインシュタインでした。ニュートンの前提である、質量と加速度は独立であるという仮説をひっくり返してしまいました。

 理論の時代は、簡単な内容を複雑に表現する時代でも有ります。
ルネッサンスは、キリスト教を神学としてどんどん複雑に難解にしてきた歴史を一旦クリアーしましょう、という運動だったと理解しています。人類の歴史はぐるぐる似たような繰り返しです。

 スパイラルにどんどん進歩するなら人類にとって幸福な事ですが、全てが総て進歩とは言えないと考えています。後戻りできない部分もあります。卑近な例が文字です。人類が文字を得た事で文明が発達した事は疑いが有りません。しかし記憶力は圧倒的に劣化したに違い有りません。ワードプロセッサーやパソコンで漢字が書けなくなった事で良く実感出来ます。

 少し前まで未来は予測出来ました。右肩上がりの時代だったからです。情報を正確に集め、緻密に組み立てれば予測が出来た時代でした。過去の事実から考えた仮説が成り立った。つまり今までの趨勢を延長させれば未来が見えました。

 エコノミストと呼ばれる人達や経済学者、人によって学派によって様々な予測を立て、政策提案をしていますが、決め手が見つかりません。なになに理論を振りかざしているだけのように見えます。

不透明の時代、不連続の時代とも呼ばれます。


6 右肩上がりの経済に有っては、創造力を必要としない。ただなぞるだけで済みました。

 話題を経済、アメリカを中心とした産業に移しましょう。

   実態が見えない金融経済はいずれ縮小し見直されると楽観的に考えています。バブルが起こるのもバブルが崩壊するのも実体経済ではなく金融経済でのことであり、長い時間はかかるにせよ、さまざまなバブルを経て、賢い人類はそれを管理可能なかたちに改めていくに違いないと考えています。そうでないとグローバル経済そのものが成り立たないからです。金融経済がどうなるかという議論は別にして、本稿では実体経済に絞って検討します。ニッポンにとって重要なのは実体経済だと考えるからです。

 アメリカ中心の経済は新しモノ好きDNAのなせるワザでした。
世界で言えばアメリカやブラジルなどの新世界、移民で成り立っている国々。日本で言えば東京。どちらも他のマーケットとは異なった特別なマーケットです。

乗用車のモデルチェンジやパソコンのグレードアップ、ウィンドウズのバージョンアップの例が分かりやすいと思います。新型商品の価値、つまり新しい付加価値と価格のバランスが折り合いません。とても理性的な価値判断で買い換えているとは思えません。マスコミによる広告宣伝が効果を発揮します。人口密集地域では新型商品を持っていることがステイタスになります。住宅もそうですが、自動車もパソコンそして携帯電話も同じかたちを取ってマーケットの拡大が連鎖します。

アメリカ経済が世界経済を牽引してきました。中国の場合もアメリカ文化にあこがれ、新しいモノを持つことに誇りを感じる人々が増え続ける限りは同じかたちでマーケット拡大が続くと思われます。

 このような大量生産大量販売はそのメカニズムさえ理解できれば、どの国どの民族でも勝つことは可能です。なぜなら創造性を必要としないからです。目先が新しければそれで事足りるからです。ましてや中国のように桁の違う大人口を擁するマーケットが有れば尚更強みになります。

 ニッポンはアメリカを見過ぎました。異質の国、異質のマーケットにも関わらず、アメリカを手本としてきました。第二次世界大戦に負けて占領下に有ってもアメリカは紳士的に振る舞いました。日本人はアメリカの生活に憧れて高度成長時代をひた走ってきました。

団地に住み核家族で、最新の電化製品に囲まれた近代的な生活を夢見て一生懸命に働きました。モータリゼーションの波にも乗ってきました。働きバチとかウサギ小屋とか揶揄されましたが、モダンな生活は良いもの、素敵なものと思って目指してきました。誰にでもチャンスがめぐる明るい社会のイメージも有りました。止むを得ない部分も有ります。

 根本的に日本人はアメリカ人のような新しもの好きでは有りません。DNA分析でも結果は出ています。(NHK教育テレビ「サイエンスZERO」)

新しもの好きは、特に情報産業、ITの世界で顕著に現れます。アメリカは技術本位、モノ起点で商品開発を行っても売れる、そして、ある程度ビジネスとしても成功する巨大なマーケットを抱えています。

デファクトスタンダードを獲得しようと、シリコンバレーを発祥地として世界のIT産業が創られていくという、言わば信仰が蔓延しています。未だにシリコンバレー詣でに多くの日本人が訪れていると聞きます。

アメリカ人はルール創りが得意です。都合が悪くなればルールを変えてしまいます。日本人、特にIT産業の人たちはいつも右往左往してきました。パソコンの時代と呼ばれましたが、所得税計算を自分で行うアメリカと違って日本人にとってパソコンの必要性は限られていました。インターネットの時代と言われれば、これをどう使うかに腐心し新しいビジネスに集中します。しかし結果はご覧の通りです。開発体制や人材で優位を誇るアメリカにいつも覇権を取られてしまっています。


7 日本人は「有ったらいいな」の想いを起点に「ニッポンならでは」の商品を創って来ました

 日本人を見つめ直す事から始めたいと思います。

 トランジスタが発明された時、アメリカ人はこれを補聴器に使おうとしました。何故なら超小型の拡声装置がトランジスタによって可能になるからです。技術起点、モノ起点の発想です。

 いっぽう日本人はトランジスタラジオを開発しました。当時ラジオは大型でなおかつ高価でした。アメリカでは多くのチャンネルが有りましたが、一つに絞って家族皆で聴くしかなかったのです。それを発想の転換で、ひとりひとり好みのチャンエルを選べるパーソナル化、としてトランジスタラジオを位置付けました。新しもの好きのアメリカから火がつきましたが、ヨーロッパは冷めていました。日本での普及もそれ程では有りませんでした。ヨーロッパでの浸透には日本人の粘り強い営業力を必要としました。時間が掛かりました。日本では音楽好きの若者向けのラジオでようやくマーケットが形成されました。日本人は「有ったらいいな」の想いからはじめます。
 
 ビデオも同様でした。「有ったらいいな」の想いが起点でした。しかし開拓者は苦労しました。アメリカではハリウッドを中心に著作権を保護するルールがガッチリできていたからです。それをタイムシフト、つまり時間の都合で視聴できなかった番組を後で見る事が出来る、ある種タイムマシンとして、著作権法の解釈そのものを見直させてでもビデオに市民権を獲得させました、日本人が、です。「有ったらいいな」有れば人々が幸せになるという想いが有ったからだと思います。

 ウォークマンやカラオケ、カップヌードルハイブリッドカー。。などなども同様です。日本人の創った商品は技術起点やモノ起点ではなくて「有ったらいいなの想い」が起点です。

 「有ったらいいなの想い」からの創造がニッポンならでは日本人らしいスタイルです。ここに立ち戻ればいいだけです。

 競争ということで言えば、量の競争は他の国にまかせておいて、質の競争で実力を発揮することが競争優位を生みます。量の競争はほどほどにして、得意な質の競争に軸足を移してはどうでしょうか。量だけを追い求めない。同じ土俵で闘わない。独自の土俵を創る。これがニッポンの生きる道ではないでしょうか。

 大量生産大量販売の中での競争を続けるような日本人ではないような気がします。日本人は本来創造性が豊かだからです。マーケットを創造する能力を持っているからです。今となっては潜在的な能力と呼ばなくてはならないかも知れません。

8 これで行きましょう!「有ったらいいな」の想いを起点とした創造力をかてに。

超くるま社会の創造 石川蓮

「超くるま社会の創造」石川蓮



はじめに

 韓国や台湾そして中国などが国ぐるみでのし上がってきました。日本の強みであるモノづくりの優位性が失われていくのではないかと心配です。他の国には真似の難しい「ニッポンならでは」のモノづくりをどうしたら出来るのか。諸先輩のお話を聞いたり本を読んだり、私なりに一所懸命に考えてきました。

 そんな折りに二つの出会いがありました。ひとつは大好きな漫画家さんと模型家さんからの、こんなクルマが有ったらいいな、という想いとの出会いでした。素敵なコンセプトでした。なんとか実現できる方法を考えようと心に決めました。もうひとつは経済産業省でクールジャパンを始めた方から、面白い提案が欲しい、との投げ掛けでした。クールジャパンというのは、ニッポンならではの格好良さや賢さといった意味で、漫画・アニメ、日本食そして自動車が代表的なものということです。「ニッポンならでは」は「日本人らしい」事、つまりは日本文化から生まれると分かりました。

 これをきっかけに、ニッポンの核(CORE)になる考え(IDEA)を創ろうということで、COREiDEA(コアアイデア)という有志のプロジェクトが生まれました。国を憂いて手弁当でのご参加でした。のべ五十人にも及ぶ仲間の皆さんとディスカッションを進めるうちに問題がはっきりしてきました。若者に元気がない、夢も希望も持てないということが一番問題だということでした。若者にとって、やりがいの有る仕事に就けないばかりか、就職さえままならない時代です。勝ち組負け組といった競争ばかりの社会になっています。拝金主義とも言える経済偏重社会で心がすさんでいます。今こそ「日本人らしい」「ニッポンならでは」の産業を創り、若者が生きやすい社会に変わって行けばと望んでおります。

 東日本大震災福島原発事故から大切な事を教えていただきました。日本人にとって大切なもの。「いのち」。「まごころ」。「ふるさと」。また被災地福島県飯舘村からは素晴らしい言葉を教えていただきました。「までい」。両方の手を意味する古い日本語、真手、から発しています。両手の意味から転じて、両手で大切に、手間暇惜しまず丁寧に心を籠めて。

 若者が目を輝かせて楽しく働くことの出来る、夢の持てるニッポンにしたいとの望みがますます大きくなっています。しがない私がこんな大きなテーマに挑むようになったのは、仲間の皆さんとの活動の中で、日本人らしく「みんな」で「まごころ」を合わせれば何とかなる、そういう確信を持った事です。

 ニッポンには女性脳が創ってきた文化が有ります。平仮名文化です。特に女性脳の素晴らしさに触れ、女性脳のつぶやきを男性脳がかたちにする、ということに大きな可能性があることを実感しました。
「いのち」「まごころ」「ふるさと」を「みんな」で守り育み、有ったらいいなの想いを「までい」でかたちにして行けたらと願っています。

 この本の表紙をピンク色にしたのはこう言った想いからです。出来るだけ沢山の女性脳の人達の目に触れてほしいと考えています。男性脳の方々がもしピンク色が気恥ずかしい、見られたくないということでしたら、カバーを外していただくかブックカバーをかぶせていただけたらと願っております。
 皆様のお力を結集しないと実現できない壮大なテーマです。たくさんのアイデアをいただきたいと考えています。ご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

 ディスカッションのために、思い切った仮説を述べさせていただきます。コムツカシイ理屈を敢えて組み立てて有ります。反論やご批判をいただきたいので極論になっています。超論と名づけました。あわせてよろしくお願いします。






























   
一 超くるま社会の創造



(1)明日の産業としての、新しい自動車産業


・明日のための産業

   子どもの将来の働き場所を増やす、単に増やすだけでなくやりがいのある職場を創りたいと願っています。そのための新しい産業です。

 新しい産業は他の国々の追随を許さない「ニッポンならでは」の産業であることが重要です。
「日本人らしい」事も大切です。日本人に適した仕事ならば、生き生きとやりがいを持って働けるのではないかと考えています。


・新たな自動車産業

 多くの日本人が関わることのできる産業として、自動車産業の可能性を考えてみたいと思います。

 自動車産業は、日本の強みであるモノづくりの力とおもてなしの心を活かせる産業です。身近で馴染み深く、他の産業にも貢献出来ます。なおかつ地域的にも大きな広がりの期待できる産業です。

 自動車は鉄などの金属、ガラス、プラスチックス、繊維、セラミックスなど多くの材料でできています。製鉄や化学工業などの材料産業や加工産業だけでなく、電気産業、情報産業など幅広い産業との連携で出来上がっています。新たな産業が加われば他の産業でも雇用が増えてニッポンの活性化に貢献できるのではないでしょうか。

 代表的なニッポン、クールジャパンの中で漫画やアニメ、日本食と並んで一角を占めていることもあります。輸出への貢献だけでなく、ニッポンとして日本人としての誇りにつながるのではないでしょうか。

 自動車産業を「日本人らしさ」を活かした「ニッポンならでは」の産業として、新しい自動車産業を組み立て直してみようという挑戦です。従来の自動車産業に取って替わるのではなく、うまく融合して更に大きな産業力を持てるように考えたいと思っています。




(2)「日本人らしい」「ニッポンならでは」を考える


・「まごころ」

   クール・ジャパンと呼ばれる海外から見てのニッポンの魅力は、漫画やアニメ、日本食そして自動車とのことです。
どれも作り手の「まごころ」を感じる産業です。漫画家の「まごころ」農家や漁師そして料理職人の「まごころ」工場現場や販売現場の「まごころ」が核になっています。

 ニッポンの映画や漫画が海外の人々にとってなぜ魅力的か。考えに考え、考え抜いた私の結論。それは日本人そのものの魅力です。黒沢明監督の「七人の侍」も鳥山明の「ドラゴンボール」も尾田栄一郎の「ワンピース」も、名もない主人公達が力を合わせて悪と闘う。飛び抜けた独りのリーダーがいるわけではなく、仲間「みんな」で「まごころ」を集めて助け合うこと。日本人にとっては当然の事、あたりまえの事柄と感じることですが、海外の人々には新鮮に映るようです。徹底的な殺し合いはしない、平和を愛する心、優しさに溢れています。作品を創った人々、作者であり監督であり漫画家の「まごころ」があればこそです。作品の魅力は日本人の心、日本人の魅力が源泉になっていると考えています。

 画面の綺麗さも魅力的です。ニッポンの美しい山河をいつも観て育った人が作っているからと考えます。日本食が観て美しいというのも、美しいものを観てきた日本人だからこそ美しい料理を創ることができるのではないでしょうか。
 登場人物が親しみやすい、人なつこい、かわいいということも特徴的です・


・「きれい」「かわいい」

 海外からのお客様が口をそろえて言うジャパン・イズ・ビューティフル。美しい日本。富士山や京都の街並み、工芸品が美しいだけでなく、建物や道路が汚れやゴミが少なく綺麗に保たれています。「きれい」なニッポン。

 日本人には見て「きれい」を感じる優れた感性があると思っています。

 私はオーディオを趣味としてきました。個人的かもしれませんが、日本製品は西洋製品に音ではかなわないと感じています。海外製品はきれいな音を奏でます。楽器も同じです。聞く音楽が西洋楽器を使ったり、西洋音楽の様式をもとにしているからでしょう。西洋のオーディオ機器や楽器は、作る人が西洋の楽器の音色や西洋音楽の美しさに永く触れてきたからではないでしょうか。楽器にしてもオーディオ機器にしても西洋のものに一日の長があるという事ではないでしょうか。反対に、日本古来の音楽や琴や太鼓や三味線といった和楽器には日本製が良いのでしょう。

 ニッポンのテレビはどこの国のテレビよりもきれいと感じます。その理由も同様です。わたくしなりの結論ですが。見ての美しさ。これはニッポンの自然、美しい山河そして多彩な鳥や様々な生き物たち。これを観てきたからこそ美しい画面「きれい」な映像を映し出すことができるのではないかと思います。余談になりますが。テレビを造っている人達は、国によって喜ばれる画面は違う、きれいと感じる映像も違う、とおっしゃいます。もっと自信を持って日本製テレビの競争ポイントとして考えれば良いのではないかと、素人ながら考えてしまいます。

 「かわいい」は今や海外でも通じる言葉になりました。オタクなどと一緒にクールジャパンを表す場合も有ります。意味が随分広がりました。女子脳にとって魅力的、グッとくる感じが有るというような意味と感じています。最近ではユルイという言葉も広がっています。どちらも平和を基盤としているような気がします。競争を表に出した緊張感よりも、心がゆるんだ状態ではないでしょうか。「かわいい」も「ニッポンならでは」です。


・「みんな」

 海外に通用するニッポンの商品の代表はウォークマンカップヌードル。どちらも海外の辞書に載るほど世界的に広がり、文化とさえ呼ばれるようになりました。しかし発明者を個人で表す事は少ないようです。それに反して海外では、ウィンドウズのビル・ゲイツアイポッドやアイフォンのスティーブ・ジョブス、古くは自動車のカール・ベンツ、蒸気機関のジェームズ・ワット、電球のトーマス・エジソン、飛行機のライト兄弟、と発明者個人が知られています。

 日本人は新しいモノ・見た事もないモノを「みんな」で創りだしてきました。


・「ふるさと」

 東日本大震災福島原発事故では「いのち」と同じくらい「ふるさと」が大切である事を再認識させられました。生命の危険があってもなお「ふるさと」を離れようとされない方々が多いからです。

 ニッポンには地域地域に素晴らしい文化が残されています。司馬遼太郎によれば、明治維新までは、日本人共通の文化は着物だけだったようです。江戸時代の藩は閉鎖的でしたので、おそらく参勤交代やお伊勢参りくらいしか他のお国の人々に触れることはなく、よそのお国の文化を知る機会が少なかったのではないでしょうか。着物は参勤交代などでのユニフォームだったのでしょうか。

 今でもそうですが、方言どうしで話してもなかなか通じない場合が有ります。ラジオやテレビで標準語が知られるようになってから変わったのかも知れまん。衣、食、住それぞれに地域独自の文化が有ります。


・「までい」

 福島県飯舘村が推し進めていらっしゃる、までいライフ、から知りました。繰り返しますが「までい」は  両方の手を意味する古い日本語、真手、から発しています。両手の意味から転じて、両手で大切に、手間暇惜しまず丁寧に心を籠めて。

 ニッポンの強みはモノづくりとおもてなしだと言われてきました。単に、作り手が良いと思うモノを作ればよい、そうは思いません。使い手にとって良いものでなくては、と考えてしまいます。おもてなしもそうです。どちらも独りよがりにならず受け手の身になって考える事が大切なんでしょう。

 おもてなしと言う言葉には、いらっしゃった方をおもてなす、待ちあるいは受け身の印象を持っています。モノづくりとおもてなしのどちらにも、まごころ込めて丁寧にという事が根底にあると思えてなりません。真心で真手。「までい」という言葉がしっくりきました。

 飯舘村の村長菅野典雄氏はおっしゃっています。「やっぱり、日本は第三の転換期ですよ。明治維新、戦後そして今。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代を見直さなあければという時に、この震災と原発事故が起きた。。」感覚的には多くの日本人が共感を覚えると想像しています。このお言葉について、私なりに考え考え、考え抜いた結論として浮かんだ言葉は「いのち」です。モノやカネより「いのち」を大切に考えて全ての事を見直さないとと感じています。


・「いのち」

 ヒロシマナガサキ原子力の平和利用への転換のきっかけとなりました。フクシマを経済より生命「いのち」を大切にするきっかけになって欲しいと切に願います。

 すぐに解決するには難しい問題です。しかし、子ども達の将来、明日のニッポンを考えて「みんな」で心ひとつになれるよう努力を惜しまない覚悟です。







(3)超くるま社会とは

 ニッポンならではのくるま創り、平仮名の「くるま」です。

 日本人らしく「みんなで」「まごころ」こめて「までい」にお客様に届ける。

 さらには「いのち」一番のくるま社会を目指した第一歩を踏み出す!


 新しい視点の自動車産業を創りたいと考えています。ニッポンならではの日本人らしい自動車産業です。

「きれい」で「かわいい」くるまを
「ふるさと」を基盤にして
「まごころ」の絆をもつ「みんな」で
「までい」に作りたいと考えています。

 それぞれの「ふるさと」と「ふるさと」の絆をつなげ創造力を高めます。

 知恵やノウハウが財産です。これらの財産はニッポン全体「みんな」で共有できる形にします。

 人間だけでなく生きとし生けるものすべての「いのち」を一番に考えた社会を目指します。まずはくるま社会からです。

    

               
二 超くるま社会の「くるま」


・すごしやすい「くるま」
 
 ニッポンの道路事情を考えると出来るだけ小型にしたくなります。狭い路地ですれ違いがしやすかったり、お店の駐車場でドアを開けるとき横を気にしなくて済むからです。長さが短ければ渋滞も短くなります。

 しかし外形寸法から決めるより、乗る人のすごしやすさ、つまり内寸から決めたいと思います。乗る人にとっての最小限のスペースは確保します。広ければ広いほどすごしやすいという意見もあるでしょう。一方では身の丈に合ったという表現も有ります。日本人の住まいには畳一畳という標準が有りました。起きて半畳寝て一畳、とも言われます。松浦武四郎と言う人が畳一畳での生活を示してくれています。くるまの室内空間の基準を一畳から考えたいと思います。一人乗りの場合は長さ1800㎜幅900ミリの内寸を最小とします。

 三人乗りを提案したいと思っています。後で述べますが、脳科学の観点で同乗者の前方視界を確保することが大切だからです。全席一名後席二名での三名乗車です。後席横二名の場合、幅は一畳の1.5倍で1350㎜(900×1.5=1350)です。

 ペダルが無いほうが何かと便利です。ヒールの高い靴や、場合によっては和服でも運転可能です。床に荷物が有ってもペダルにひっかかったりする危険性が無くなります。アクセルとブレーキを手で操作することになりますから、ハンドルは自転車やバイクのようなバーハンドルです。運転姿勢は、そりくり返るより真正面を向いたほうが外から見て「きれい」ではないでしょうか。姿勢の良さと所作の美しさは日本人の美しさの基本です。

 すごしやすくするため、メーター類やスイッチ類は最少限にとどめます。出来ることならメーターもオーディオもカーナビもipad一つで間に合うと嬉しいですね。スイッチを平らで突起のないタッチパッドにすることで、室内デザインは、わたしらしい好みのインテリアに出来るような和室コンセプトです。


・「かわいい」カラーとスタイリング

 日本の風景に馴染むカワイイデザイン。自動車のデザインは走る場所の風景に溶け込むデザインだと「きれい」に見えるそうです。そう言われてみると今の自動車はつり目のヨーロピアンデザインが主流のように感じます。たれ目でカワイイ優しいデザインが有ったら、走っているのを見るだけでも「こころ」癒されるかもしれません。眺めているだけで心地よいくるまです。

 女性脳に心地よく感じてもらうために、カラーを重視したいと思います。一般的に女性脳は男性脳よりたくさんのカラーを見分けられると知られています。もっともっと女性脳の喜ぶカラーを創れたらと思います。

 乗っているヒトが「きれい」に見えるスタイリングがいいですね。
自動車はもともと操作に強い力が必要であったり、出先で故障したばあい簡単な修理ができないと困りましたので、男性運転者を念頭に作られました。レースなどのイメージも有って現在のような運転姿勢になっています。女性運転者にとっては必ずしも美しいとは言えない場合も多いと感じています。
 姿勢や所作、ドアを開けたり閉めたり、ハンドルを握る姿も外から見て「きれい」に見えるように出来たらと思います。くるまを選ぶ場所にはくるまも一緒に映る大型鏡とかカメラが必須になります。
 外板を鉄板でなくプラスティックや布あるいはフィルムで構成すれば、透明や半透明のくるまも可能です。具体的には実際に作ってみて女性脳にうかがいながら進めるしかないと考えています。男性脳では分からない分野だからです。


・気持ちの分かる相棒としてのくるま

   世界のどこにも真似の出来ない独創性が有ります。脳科学者光吉俊二さんの発明、音声による感情認識技術STです。乗っている人の声を聞き取り、その人の気持ちを認識できる、つまり気持ちの分かるくるま。

 使う人の気持ちを察する気の利くカーナビで、くるまが相棒になります。運転者だけでなく同乗者も含め乗っている人がどんなヒトかによって、またその時の気分やそれまでの経歴つまり相棒とのつきあい履歴によって道案内を変える心憎いカーナビです。
 
 趣味や嗜好に寄り添った場所を選べるので、くるまが旅の道案内をしてくれます。これなら各地の日本食や地域の歴史・文化を広める仕組みを組み込むことが可能になります。行った人の気持ち、感想を記録すれば、どんな人が気に入ったのか分かり、自分はどうか、参考になります。

 くるまの方から乗っている人達に話しかければ車内の話が弾み、携帯電話やメールで希薄になった若者同士の会話促進に役立つかもしれません。

 STについて簡単に。。
ヒトには手足や顔など意思に随う随意筋と、心臓や肺などのように意思に随わない不随意筋とが有ります。声を出す声帯の筋肉は不随意筋なので気持ちの状態が声にそのまま出てしまいます。声から気持ち、感情が分かってしまいます。この事を科学で解き明かしたのがST。Sensitibity Technologyです。


・部屋としてのくるま

 女性には個室が有りません。男性には書斎という名の個室が有りますが女性には個室が有りません。たとえ個室が有っても家にいては家事や育児についつい引き込まれてしまいがち。そのまま動きだし外出できる個室が有れば楽しいのではないかと考えています。自分専用の部屋ですから使い方は人それぞれ。くるまも人それぞれ。衣更えなど季節感を取り入れたり、和室発想で思い想いに模様替えのできる部屋だったら夢が広がるのではないでしょうか。

 わたしらしい「くるま」を創ることが出来る仕組みを整えたいと思います。


・ 人と人の絆を広げるくるま

 ゆっくりのんびり走れば、そう、自転車くらいのスピードなら、出会った人と挨拶が出来たり、見える景色も変わります。超小型で小回りが効くので路地や田舎の道も楽々通ります。ネットとは別のリアルの絆は顔と顔を合わせる事が大切です。自転車のように気軽に使えて、雨や風を気にしないで移動できる新しい交通機関です。

 大都会には薄れてしまった地域コミュニティーが各地に残っています。醤油とか調味料を貸し借りしたり、野菜や魚や貝などをおすそ分けしたりする、あたたかい懐かしい人々の絆が、日本人のDNAが呼び戻されるに違いありません。

 くるまが人と人の絆を広げます。

 電気自動車であれば、音が静かなので水の音、風の音あるいは鳥や虫たち生き物の声が聞こえたりします。ヒトと大自然との絆を呼び覚まします。

 途中で電池切れになると困ります。そんなに遠距離を走る必要も有りませんが充電の事はきっちり準備しておきたいものです。
携帯コンロのカセットボンベで動く超小型エンジンの発電機。
必要な時だけつけて発電できる自転車風ペダル。
発進時のモーターの力で充電できる機構。モーターは発進回転力が強過ぎるのでその余力で発電できます。
その他、いくつかのアイデアが考えられます。

いちばん大切な充電機能。
それは他の「くるま」につないでもらって電気を借りられる機能です。
お隣さんに醤油を借りたり、お向かいさんに留守番を頼んだりする「横の絆」です。「ニッポンならでは」の魅力的な機能です。


・子どもも、動く景色を楽しむくるま

 自動車に乗る最大の魅力は前方の動く景色と考えています。脳の認識の四割は視覚からです。視覚は、聴覚や嗅覚あるいは触覚と比べて、遙かに大きな位置を占めます。海の魚や空の鳥を考えれば動物としての目の大切さ、記憶や情報処理についても目に見えることの重要性は説明の余地が無いと思います。世界最初のベストセラーカー T型フォードが人々に喜ばれたのは前方の動く景色だったそうです。

 その意味で前席一人後席二人の三人掛けは面白いと思います。前席は中央に一人ですから、後席二人の人には今のクルマより広い前方視界が与えられます。窮屈感も少なくなると想像できます。クルマで四人以上乗ってドライブすることは稀です。なぜか三人が多いような気がします。

    若者の自動車ばなれの要因はいくつか挙げられますが、脳科学から考えると二つ有るような気がします。
一 幼い頃から自動車で楽しい体験をしてこなかった事から、脳に自動車についてポジティブな記憶が少い事。
二 前方の動く風景の素晴らしさに脳が感動した経験が少ない事。

 幼児の頃は窮屈なチャイルドシートに押し込められ、ようやくシートに座れるようになってもシートベルトで縛られ、目の位置が低いので景色は空しか見えない。元気な子どもは後席に追いやられ、静かにしろと怒られる。

 今の若者に自動車での楽しい記憶が少ないのは間違いないと思います。脳が自動車嫌いになってしまっているかもしれません。

 自動車離れという言葉は売り手側の都合から来ていますが、自動車が楽しいモノ、嬉しいモノ、脳に心地よいモノであって欲しいのは使い手、乗り手も同じ望みです。


・わたしらしいくるま

「気軽に買えて 自転車のように使え、止まって誰かとおしゃべりしたり、お茶を飲みながら音楽を聴いたり本を読んだり  気ままに楽しめるくるま」

現代風に言えば「走るアプリ」

「移動可能な秘密基地」

「コンパクトな隠れ家」

「変幻自在なじぶん空間」
・・・

 一人乗り、三人乗りさらに四人乗りまで可能ですが、室内スペースは畳一畳が基準です。一般的な畳は長さ1800mm幅900mm。
このサイズならベビーカーはもちろん、後ろから車椅子のまま乗り込むような仕様も可能です。一般的な車椅子のサイズは長さ1055mm幅665mm高さ865mm(乗って約1400mm)座面が長さ400mm幅450mm。

 一人乗りなら自転車も積んで行けます。出し入れが簡単なように後ろに扉をつけるのです。
釣りや模型飛行機など趣味の楽しみ。
お気に入りの椅子を載せて行って、公園とかの木陰でゆったり季節を楽しむことも出来そうです。

 一人暮らしのお年寄りがお使いに出かける時には荷物スペースも広々です。畑とか海辺へ、少しの荷物だったら後ろに載せて行けます。見守るほうも屋根がついていて安心ですし、社会に役立っているのが感じられます。
 
 将軍の厠からヒントを得て開発された岸友三氏発明の移動用無臭トイレが有れば安心です。

 メーター類、オーディオ、カーナビはipadひとつ有れば事足りるので、インテリアの設計には大きな自由度ができます。

 地場の工芸品的なモノづくりによる様々な内装品が揃っていれば、手作り感覚の自分らしい落ち着きある空間に仕立て上げることも可能です。


  ネーミングもわたしらしく

   ネーミングについては
「お仕着せの名前は要らないのではないでしょうか、買った人が自分のペットに名前をつけるように”太郎”、”花子”、”シロ”、”クロ”、”タマ”、”ジェームス”などと、それぞれ勝手に名前をつけてもらったほうが車に対して愛着がわくのではないでしょうか?たとえば、この”シロ”は俺によくなついて俺の行く所どこでもついてくるんだよ。とか、私の”ジェームス”はまるで私のボディガードみたい、どこでもわたしの身を守ってくれるの。。。」


イデアは尽きないかもしれません。





三 超くるま社会のくるま創り <開発>


   これまでの商品づくりは、欧米流の分業で効率重視の方法でした。コンセプトメイク、デザイン、模型確認、設計、製造手順検討、等々と縦割りです。ここにもニッポンならでは日本人らしい方法を取り入れてみたいと思います。

 また自動車のマーケットでは厳しい競争が待っていますので開発は極秘で進められます。開発の段階からひとりひとり使い手の意見を織り込むことは困難です。

 デザイナーは受け身の部分が有ります。誰にも負けないデザインを創るという気概が有ってもコンセプトをつくる人に依存しています。デザイナーやエンジニアがコンセプトをつくる段階から入れば違う立場の知恵が入ります。

 縦割主義も秘密主義も両方とも打ち破りたいと考えています。創り手も、造り手も、買い手も使い手も、みんなで一緒に仕上げて行こう、というアプローチです。

 実物を売り出す前に模型を先に作って確認してもらいます。模型というのは通常、実物がはじめに有って、それを何分の一かに縮尺して作りますが、全く逆の発想です。ハリウッドというのは見えない世界を見えるようにして夢を見せてくれますが、日本人はモノにまでしてしまう、ということになります。

 設計や製造手順検討などこの後のステップも同様です、ニッポンならでは日本人らしい「みんな」で創り上げます。

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超論 その一 カーデザインの同質化について

(コムツカシイ極論です。よろしければ読み飛ばしていただいても結構ですよ)

 「欲しいクルマがない」と多くの人から聞きます。自動車は技術的には成熟した製品です。スポーツカーもあれば、悪路走行用も有ります。乗車人数に応じても色々とりそろえられてあります。バリエーションは万全です。
欲しい自動車が無い、最大の課題はデザインだと感じています。魅力的なデザインが何故生まれないのか。私なりに考えてみました。

 デザイナーの気持ちを想像すると、どこにも無い色形、誰の真似でもない色形でありたいと望んでいるのではないでしょうか。アーティストとしてのプライドもあるのでしょう。過去のデザイナーや隣のデザイナーとは違う新しいデザインを追い求めることになります。

 買い手側にも原因が有ります。アメリカやブラジル、日本で言えば東京にように新し物好きのDNAを持った人々が多い地域では、新しいというだけでマーケットが成り立ちます。毎年毎年、なになに年型と言う風にモデルチェンジが喜ばれました。
 
 そうでない地域でも、買い替えて新しいモデルを持っていることを人に見せたい人がいます。デザインの良し悪し「きれい」かそうでないかより、新しさが優先されてしまう事が多いのです。お金持ちが敬われるような社会では、いつもいつも新型自動車に乗っていれば目に留まります。ステイタスにもなります。

 自動車が発明されて以来、デザインの歴史は限られた外型の中で出来るだけ大きな居住空間をとる歴史でした。馬車に替わる交通機関として欧米で発達しましたので馬車がベースでした。

 話が脇道にそれますが、欧米では貴族の乗る馬車のための道路網が整備されていましたが、日本ではそうでは有りませんでした。日本の貴族はゆったりと牛車や輿に乗っていました。地域と地域を結ぶ交通網は徒歩と籠、急ぐ場合と上級武士は馬でした。道路はそんなに広くなくても良かったし、多少デコボコでも大きな支障は生じませんでした。明治になって馬車が使われたり、自動車が入って来ても一部上流階級用で、田舎の隅々にまで舗装された広い道路は造られませんでした。というより交通機関の技術革新に道路整備が追いつかなかったのかも知れません。
そんな厳しい道路事情が有ればこそ、日本製の自動車は悪路でも壊れにくい堅牢な構造になったのではないでしょうか。故障の少なさや作りの良さは職人さんや商人さんの「まごころ」籠めた日本人らしい、作り手売り手がいらっしゃったからだと思います。

 本道に戻ります。最初、自動車は横に並んだ座席の下にエンジンが有りました。貴族向けの限られた人向けの限られた場所の交通機関でした。RRリアエンジン・リアドライブです。

 次は、前にエンジンを置き後方車輪を駆動するFRフロントエンジン・リアドライブになりました。前にエンジンを持っていけば大型の高性能エンジンを載せられます。アメリカで大衆乗用車のさきがけになったT型フォードなどはこの形式です。大型エンジンで長距離ドライブも可能になります。アメリカの広い国土でも使えるというわけです。前に置かれたエンジンから後ろの車輪に回転力を伝えるために、真ん中に置かれた座席の下中央に車軸が通ります。

 さらにFFフロントエンジン・フロントドライブという前方車輪を駆動するタイプが主流になりました。アメリカほど道路が広くないヨーロッパで生まれました。同じ居住空間で自動車自体を小さくするためです。フロントにエンジンも変速ギアなどの駆動装置をまとめてコンパクトにしてしまうことと、前に有るエンジンと後ろの車輪をつなぐ車軸を無くす事ができるので、同じ大きさの自動車でも居住空間が圧倒的に広くなりました。

 順々にメカニズムが複雑になります。技術革新が有ってこその進歩でした。

 丸いハンドルにペダルという共通の運転スタイルになって、どの自動車メーカーも世界各国で走れるようになりました。それと同時に同じ土俵で比較されることになって、競争が激しくなりました。技術革新が一巡し、成熟した商品に競争はますます激しくなりました。いわゆる同質化のなかの過当競争です。

 デザイナーも激しい競争の中でしのぎを削るようになりました。自動車産業が大企業化して、デザイナーの多くはサラリーマンです。競争はライバルメーカー相手だけでなく、社内競争も厳しくなりました。デザインの良し悪し「きれい」かそうでないかより、デザイナーの競争つまり社内の勝ち負けが優先されてしまう事が多いのです。社内で認められなければそのデザインは世に出ないからです。他のデザイナーより優れたデザインをということで、ディテイルの競争に陥っている印象が強くなっています。

 デザインはそのものの置かれる周りの景色、自動車であれば風景にマッチしたほうがきれいに見えるのは説明の余地がないと思われます。使われる国、走る風土に合った自動車が望ましいはずです。

 しかし作り手から考えれば、グローバルカーと言われるように、一つのデザインで多くの国や地域で沢山売れる方が経済効率からは理想的です。激しい競争の中では経済効率が優先されます。

 アメリカ車が元気な頃は明るい印象のアメリカンデザインとシックで落ち着いたヨーロピアンデザインの両方が見受けられましたが、今となっては、大型で燃費の良くない往年のアメリカ車は数少なく、小型車主流のヨーロピアンデザインで埋め尽くされ、デザインの同質化が進みました。

 そんな止むを得ない事情ですが、自動車メーカー同士闘っているうちに、お客様から見放されるようにならないといいと願っています。

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四 超くるま社会での   製造と販売


・造り手の「までい」と売り手の「までい」をダイレクトにつなげる

 繰り返しになりますが、見慣れない聞き慣れない言葉ですのでお許しください。「までい」両方の手を意味する古い日本語、真手、から発しています。両手の意味から転じて、両手で大切に、手間暇惜しまず丁寧に心を籠めて。

 おもてなし、という綺麗な日本語も有りますが、何処か待ちの姿勢、受動的な印象を持ってしまいます。いらっしゃるお客様を迎えてのおもてなし。それだけでなく、こちらから進んで手を差し伸べる、応援する、助ける、手伝う、相手の役に立つ。そんな能動的なニュアンスも有ったらとかねがね思っていました。また、おもてなしという言葉はモノづくりとは別の世界という印象です。商人力のおもてなしに加え、モノづくりの力、職人力もニッポンの強みです。

 両方合わせて同じ言葉を使うには訳が有ります。日本人の心「まごころ」を一つにつなげたい想いが有るからです。「までい」はモノづくりにもおもてなしにも通じる共通の言葉です。ニッポンの産業力の象徴となっていく可能性を秘めています。

 クールジャパンの代表、日本食は農家のまでい、漁師のまでい、包丁職人のまでい、陶器職人のまでい、箸職人のまでい、料理人のまでい、がつながって出来ています。
漫画も同じです。アニメも同じです。
そして自動車も同じ「までい」つながりにしたいのです。上下関係の感じられないフラットで、もっともっと絆の強い産業にしたいのです。
 

 ・電気自動車で「三丁目の夕日」の鈴木オートが世界企業になれる!?
     
 自動車は重くて熱くて振動の大きいエンジンを積むため、これをしっかり支える枠組みが必要です。そのために製造設備は大がかりになります。また、二万点あるいは三万点と言われる膨大な部品で成り立っていることからピラミッド型の産業構造とならざるを得ず、階層社会を感じさせる部分が無いとは言えません。

 余談ですが、階層社会で貴族の乗り物だった馬車がはじまりですので、自動車の安全は乗る人の安全が優先されてきた歴史も有ります。閉ざされた空間として移動するので階層社会が促進されるという指摘も有ります。

 自動車産業を庶民の産業にしていくというのは如何にもニッポンならではの行き方と言えるのではないでしょうか。電気自動車は大きな設備も要らず部品点数も少ないので町工場での組み立てが可能になります。買い手・使い手が作り手の職人さんと直に向き合いながら一緒に、ああだこうだと造っていくので楽しさも創れます。日本人らしい、分け隔ての無いフラットな産業構造に移行できる可能性を秘めています。日本のモノづくり産業力の最大の宝、職人力を活かす産業構造です。日本人の得意技、もてなしの心がいかんなく発揮されます。

 インターネットを通じて自動同時翻訳が出来れば海外のお客様にも対応可能です。ネットを使ったビジネスの良さは、買い手と売り手がつながる、更には作り手もつながるとところに有ります。ダイレクトなつながりです。
寿司屋のイメージです。回転寿司ではなく、昔ながらの対面式の寿司屋です。常連さんの来店を予想して仕入れや下拵えをしておく。実際に来店したら、顔色などからの健康状態あるいは会話から気持ちの状態まで推し量りネタを選ぶ。お客様の様子で、いわゆる場の空気で、会話に入ったり入らず黙々と握ったりと。。寿司職人とお客様の絆があればこそです。


 ところで、「三丁目の夕日」という映画が有ります。そこに登場する鈴木オートという自動車修理工場が有ります。裸一貫ではじめた零細企業です。主人公のひとり、青森から集団就職で出てきた女性は修理工です。親も同然の上司鈴木社長は鈴木オートを世界企業にする夢を持っています。

 いままでのピラミッド構造の産業社会では、世間知らずの中小企業のオヤジとしか見られませんでした。「鈴木オートを世界企業にする」この言葉を聞いて心の中で微笑んでいたのは私だけではないと思います。しかしフラットな産業社会に変われば、お客様とのダイレクトなつながりを持っていますので、これが最大の強みになります。海外のお客様とネットでつながれば世界企業になるのは夢でなくなります。

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超論  そのニ  これからの中小企業 そして経営者について  

 ニッポンの宝、産業力の根幹である中小企業を強くすることはニッポンの産業基盤を強くすることに他なりません。

 就職を考える若い人達にとって、これまでは中小企業より大企業の方が魅力的でした。理由は安定性だけでなく待遇の差も有りました。経済至上主義、カネが基準の経済社会では一層それは促進されました。

 基本に立ち返って考えれば、ほんらい中小企業の貢献度が高いのですから社会的地位も待遇も高くなければ不自然だったはずです。リスクの観点からも、安定性の高い大企業の待遇は低くて当然、リスクの大きい中小企業の方が待遇が高くなければおかしいはずです。ビジネスライクな西洋はどうなんでしょうか。多分リーゾナブルな仕組みになっているのではないでしょうか。ニッポンには中小企業が多いという彼我の違いも有るかもしれません。

 日本の産業構造は、ピラミッド構造に適した日本人のメンタリティーに支えられてきた側面が有ります。 元をたどれば儒教思想、忠考の価値観です。家族主義の企業がうまくまとまって組織力を発揮しているもこのメンタリティーではないかと感じます。欧米のように割り切った役割意識、ビジネスライクと呼ばれるメンタリティーとの違いです。組織力としてどちらが強いか比べようがありませんが、日本的経営の基盤をなしていたことは確かです。それが取引関係つまり下請け関係でも、社内の上司部下と同じ上下関係が心情的に出来てしまうということが有ります。

 給与体系さえもそのメンタリティーを反映していると思います。日本社会の中で職人を尊重してきた歴史が日本の産業力の基盤を築いてきたことは疑問のないところですが、中小企業の社会的な地位や待遇が若い人達にとって就職先としての魅力を損ねて来ています。経営の不安定さも大企業に対する中小企業の魅力を損ねていますが。これは経営力の問題です。

 大企業の経営者も中小企業の経営者も求められる資質に大きな差は本来ないと思います。なぜなら上司部下の三角形の連なりで組織は構成されています。多くの大企業経営者は上部の三角形にしか目が届いていません。間違いのない下部の三角形に支えられているからです。

 これからの先の見えない時代。未来を創っていく時代にはリーダーに創造力が求められます。いままでどおり変わらない経営を続けていては取り残されていくばかりです。私なりの見方ですが、組織の成功の九割をリーダーが握っているという仮説が有ります。リーダーに創造性が求められる訳ですから、ひところのようなMBAあるいは高学歴というだけではリーダーとして不十分です。

 これまでの右肩上がりの時代では、日本株式会社、護送船団方式などと呼ばれたように、官民も含めてのピラミッド構造がうまく働いてきました。リーダーが大きな失敗をしなければ、企業の各部署も、企業も、企業グループも、そして日本株式会社も成長できて来ました。リーダーが交替して退任するときの挨拶「皆さんのおかげで大過なく。。」に象徴されています。これからは通用しなくなります。 

 私の存じ上げている有名企業の経営者は、これからは一流大学出には経営を任せられない、いや大卒でもだめだ。とおっしゃっています。きちんとした思考力と創造力が求められるからだと思います。さいわいニッポンは江戸時代以来、識字率の高さで示されるように教育レベルが高くかつ幅広いです。あとは創造力です。

 日本は地域地域で文化が異なり、モノづくりにも特色が有ります。得意分野を組み合わせて製造することで、地域と地域の連携に役立ちます。ピラミッド型の産業構造が無くなれば、産業界も民主化され、創造力が増すものと期待をしています。

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「ニッポンならでは」には創造性が求められますが、心配有りません。

 日本人には日本人らしい創造性が有ります。「有ったらいいな」と言う「まごころ」から発した想いが起点になります。「みんな」で知恵を絞って行く過程で創造力が生まれます。

「有ったらいいな」の想いを起点とした創造は難しいことでは有りません。素敵な実例を紹介させていただきます。柿渋ばあちゃんと新聞バッグの事例です。

 柿渋ばあちゃん。これは高知のデザイナー梅原真さんからお聞きしたお話です。作り手、秩父の山奥のおばあちゃんがつくった柿渋石鹸。そして梅原真さんが買い手であるお年寄りの女性そして、使い手の彼女とその旦那様の絆をつくりました。そして皆さんが喜びました。わたくしはこれを日本人らしい産業だ!と感じました。

 秩父の山奥のおばあちゃんは幼い時分、貧しかったのでおやつを買ってもらえませんでした。学校から戻ってお腹がすいている時は庭の柿ノ木になっている柿をもいでおやつにしていました。柿のならない季節には干し柿が有りました。

 日本全体が豊かになるにつれ、おばあちゃんの生活もなに不自由ない便利なものになりました。しかしおばあちゃん、ある日その柿ノ木の柿が誰にももぎられずに地面に落ちているのを見つけました。そして悲しくなりました。幼い日々に助けてくれた柿の木がかわいそうでした。忘れていた柿ノ木ですが小さい時分の頃を思い出し感謝の気持ちが湧いてきました。「まごころ」です。

 なんとかして柿ノ木に感謝の気持ちを表したい。落っこちている柿ノ木を活かしたい、とそう思い様々な活用法を調べました。その結果、柿渋が加齢臭を除くのに効き目があることを知りました。柿の葉などは昔から殺菌作用などで重宝され多くの商品を生んでいました。

 おばあちゃんは仲間といっしょに「みんな」で石鹸、柿渋石鹸をつくりました。

 ところがさっぱり売れません。そこへ登場したのが梅原真さんです。「加齢臭に効く柿渋石鹸」と書かれている商品は買いにくいと感じたようです。加齢臭に効くことは知れ渡ってきましたから「男の石鹸」と名づけました。パッケージデザインもオトコくささを感じる、いかつい模様いかつい文字にしました。

 そうしましたら爆発的に売れるようになったそうです。買い手の女性にも加齢臭は有ります。店で柿渋石鹸が目にとまっても、そのままでは手に取る勇気が有りません。お店の人の視線が予測されるからです。「男の石鹸」と書かれて有れば鬼に金棒となります。

 梅原さんの「まごころ」が作り手のおばあちゃんと買い手の絆を作りました。


   新聞バッグのお話。四万十川には季節になると鮎をめざして釣り人がたくさん訪れます。その人たちがお弁当やら飲み物やら買物をします。その包み紙、昔は紙でしたが最近はポリ袋いわゆるレジ袋です。それが風に舞って川面に飛ばされます。そうすると大切な川の生き物が困ります。

 おばちゃんが考えました。生き物がかわいそうと言う「まごころ」からです。昔のように古新聞にしようと。でも買っていく人たちは、田舎くさい、と馬鹿にします。またまた考えました。袋にしてみました。しかし何とも体裁が良くない。デパートの紙袋、取っ手のついた洒落た形のあれです。でもよれた古新聞ではシャンとしません。

 「みんな」であれこれ知恵を出し合いました。いろいろ試した中で折り紙の得意なおばちゃんが隠し技を使いました。出来上がりました。

 これをみんなで新聞バッグと名づけ他の地域にも広めようとしました。世はエコブームだからです。しかし数年かかって努力しても分かってもらえません。ところが驚くことにヨーロッパのある国から注文がありました。「古新聞を送るから新聞バッグにして送り返してくれないか。相応の費用は払う。往復の航空便も手配する」というものでした。オイシイ話です!ところが丁重にお断りしました。エコだからです。おばちゃんの心意気に拍手です。


 見て楽しい、使って楽しい、買って楽しい、売って楽しい、造って楽しい、が実現できます。













五 超くるま社会での   産業の在り方


「こころ」が通う地域ぐるみの産業     

 個人の篤志によるお金、コミュニティーファンドを使い町工場を資金面で支える枠組みが実現できれば、株式会社とは違って目に見えるかたちでの産業支援ができ、目に見えないカネでカネを回すのでなく、ココロでココロを動かす、心が通う産業が実現できます。地域の活性化の切り札になります。

 これまでベンチャーは地域で知られて無く、そのため支援もされてこなかったのが実情のようです。ベンチャーそのものがアメリカ的発想になっているので株主重視で地元の方々との絆が薄いことがあります。絆を創る仕組みとしてコミュニティーファンドが創られました。

 代表的な事例が島根県民ファンドです。正式名称は島根県民ファンド投資事業組合1号。商法上でなく民法上で設立されました。利益確保を第一義とするものでは有りません。契約書文面に有る「新ビジネスの創出や地域の課題解決に資する事業にチャレンジする島根県内の企業に対し、投資という形で資金提供し、応援することによって、投資先企業の発展を推進すること」が目的です。

 ファンド運営の報酬はなくボランティアで務められています。当初、出資者は地元の一般市民、そして島根県出身で県外にいらっしゃる方々や島根県に縁のない主宰者の知人を含め76名の個人と県庁職員のグループでした。

 県民ファンドの出資は個人に限定し、ひと口10万円、5口までとされました。1000万円集まったところで新聞発表をされたそうです。県内外からの問い合わせが多数有り、144口1440万円になったそうです。

 応援するのは資金面だけではなくて、結果的に信用面での応援もできたそうです。県内で注目され有名になること、そして県民ファンドでお墨付きをもらえたことが大きな後ろ盾になったからです。営業活動でも暖かく迎え入れられ、日常的な仕事面でも地元の方々のアドバイスを受けたり助けてもらったりしているそうです。

 地域が文字通り孵卵器、インキュベーターになっています。出資者にはリターンは期待できないことを事前に明確に伝えます。地域にはリターンが有ることをしっかり説明しました。地域の未来を担う人材をみんなで育てることが最も大きなリターンです。都会では薄れてしまいましたが、横丁の子供は横丁みんなの子ども、というような感覚が呼び覚まされたようです。

 通常の投資ファンドはその運営に費用の30%ほどがかかるそうですが、島根ファンドの場合、運営経費が5%ほどで済み、95%がベンチャー企業そのものの資金として使えることも大きいようです。

 経済産業省の支援も大きかったようです。役立ったのが日本の伝統の頼母子講(たのもしこう)や無尽(むじん)の発想。みんなでお金を持ち寄り必要とする人に融通する仕組みです。ひとりの投資家、いわゆるエンジェルでなく多くの個人の篤志が動かす、ニッポンらしいやり方です。

 ゴミの分別や節電などの環境問題と同じで、ひとりひとりの力が全体を動かします。島根県の場合、人口は75万人そのうち高齢者が20万人、20人に一人が賛同してくれれば1万人になる、という構想だそうです。

 ファンドの形態を当初は有限責任投資事業組合と考えたそうですが、当時の制度では出資者が100人とされていました。

 この計画は当時中国経済産業局にいらっしゃった田辺幸二さんがはじめられましたが、地元で無担保で融資を行っていた方との強いきづなが推進力になりました。

 募集目標を1億円としたところ「創業間もない企業に多額の資金を提供することは本人のためにならない」という暖かい声で、100万円単位の、経済観念の実感できる金額からスタートし、目標として1000万の募集目標に下げました。

 地元ではファンドのアドバイザリーボードとして応援委員会なる組織が置かれました。事務局は地元のベンチャーキャピタル事業家で地域事情に詳しい人材が当てられました。

 県民ファンドとしては組合員全員が責任を持つ民法上の組合として設立されました。商法上の制度では運営責任者が無限責任になってしまうため、無報酬を前提とした場合、どうにも困ったことになるからです。

 このようなコミュニティーファンドがひとつの地域だけでなく他の地域にもできれば、コミュニティーファンド同士の連携により、それぞれの地域の強みを持ち寄り、さらに強い産業が出来上がって行きます。










六 超くるま社会では 国ぐるみニッポンの産業


「みんな」で情報とノウハウを共有            

   新しい産業は地域地域で興しますが、地域と地域の知恵をつなげて新しい知恵をつくる仕組みをあらかじめ作っておきます。COREiDEAが母体となり、情報やノウハウを共有できる仕組みをあらかじめ作っておきます。地産地消もいいですが、他の地域の知恵で造ったくるまを自分の地域の知恵を加えて、もっと使いやすいくるまにしたいと考えています。

 さらに、地域を超えるばかりでなく、いち企業を超えた、政官民を超えたニッポンの仕組みです。もちろん海外のお客様とも繋がります。行く行くは海外の電気自動車産業と繋がり、コラボレーションが出来たら更に魅力的なくるまが出来ます。


たとえば「かわいい」をKAWAIIブランドで   

 くるまだけでなく、ジャパンオリジナルの商品で女性脳がカワイイと感じる商品とのコラボレーションが考えられます。
業界を超えて「ニッポンならでは」の知恵を結集し、それを海外に訴求していきます。

   
「メイド・イン・ジャパン」 から 「ジャパン・クリエイティッド」 へ

 品質のメイド・イン・ジャパンから、創造のジャパン・クリエイテッドへのシフトです。
大量生産大量消費の量の時代から高質創造時代への脱皮のきっかけになればと思います。


 夢ですが。フランスの郊外、アウターパリで この「くるま」を走らせて見たいという願いをいだいています。

 古くからフランスは日本の文化に興味を持ってくれます。

 日本製の陶器の包み紙に描かれていた浮世絵に目が留まった画家達は、背景が描かれて無い事や、鮮やかな色づかい、見た事も無い筆のタッチに驚きました。
濁りの無い色づかいからは、絵の具の白や黒を使わない描き方が生まれました。
光を描かないとだめだ。。印象派の誕生です。日本の国は明るい太陽に恵まれた土地に違いない、とゴッホは南仏に移り住みました。 

 漫画は新しい文化として根付き、現地の書物とは別の、日本と同じ右から開く本に変わったそうです。漫画専門の書店は珍しいものでは無くなりました。一方アーティスト鳥山明の紹介本は日本語からではなくフランス語から先で、現地の書物と同じ左から開く本で出版されています。クールジャパンのシンボル。最先端の文化です。

 フランスに詳しい知り合いからは、フランス文化そしてヨーロッパ文化は行き詰まっている、と聞きました。異質の文化の衝突で新しい文化は創られます。
日本文化がフランスの人々のお役に立つかもしれません。

 日本人は舶来に弱いと言われて来ました。マーケティングが良い例です。次々に、なななにマーケティングが紹介されて来ましたが、そのこころは江戸時代から日本に有ったものばかりです。媒体技術が新しいだけです。技術起点のアメリカ人が考えた新しいマーケティングばかりです。

 黒船を創ってしまえばいい!と思っています。日本製の黒船です。

日本人にもフランスなどヨーロッパの人々にも、役に立つ楽しいたくらみです。






























七 超くるまで  超安全なくるま社会


 3.11を契機とした「いのち」一番の社会創りには、文明の利器全般についての総点検が必要です。

 原発事故だけでなく自動車も人々に災難と恐怖を運びました。今回の震災で自動車が凶器になったところが有ります。津波で流された自動車に轢かれたり押し潰されたばかりか、津波で押し寄せた自動車が発火し避難場所(石巻市門脇小学校)が炎上したりしました。
日本経済新聞 2011年5月30日 第33面)

 もともとエンジンという重くて熱い金属の塊を載せていますし、点火だけでなく引火による爆発火災の危険を持つ揮発油を搭載しています。ひとたび事故が起きれば、その熱く重い塊が吹っ飛んできたり、自動車が火だるまになる危険性を持っています。

 勿論そのリスクを最小限にすべく自動車メーカーは不断の努力を払ってきました。堅牢なボディーや非常時に乗員を守る構造を持った安全車が増えています。

 しかし多くの道路では乗用車と一緒に大型トラックや大型バスが走っています。いかなベンツといえども10トン20トンという大型トラックが相手の場合はひとたまりもありません。危険この上ない状況に日常的に直面しています。

 概念的本質的には原発と変わらない危険性を孕んでいます。いずれ交通システム全体としての見直しの必要性が求められるに違いないと感じます。

 原発や交通システムなど文明の利器だけでなく、人間が作ってきた様々な制度・決まり・仕組みも人間至上主義への転換が求められています。縦割り組織や、様々に決められた制度が今回の震災復興のあしかせになっているようです。網の目のように張り巡らされた法令でがんじがらめ、縦割り行政ともあいまって復興にブレーキをかけています。社会全体で取り組まなくてはならない重い問題です。


 道路交通もいくつかのアプローチが有ると思います。

小型車にとって、先ずは大型自動車と一緒に道路を走らない工夫が最初に思い浮かびます。大型自動車が走れない狭い道路はいいですが、広い道路では大型車通行禁止の交通規制を見直します。大型自動車には重要な役割と使命がありますから国全体と地域両方で平常時と緊急時両方について精緻な調査が必要です。小型車がわには大型自動車の走る道/走らない道をカーナビに示すとか、今現在、大型自動車が近づいてきているか/そうでないかを知らせることができます。

 電気自動車になれば全てを電気で制御できるので、走る地域や道路を制限することは容易になります。警告だけでなく、自動車そのものを停めたり速度を緩めたりできます。


 社会全体の大きな利点として電気自動車が非常時に家庭用バックアップ電源になることが有ります。今回の震災はとても寒い思いをされた方が多かったので、暖をとるとか医療器具の電源に使うとか「いのち」一番に少なからず役立ちます。 


 ガソリンや軽油などを積まなければ燃料発火の心配がありません。軽く造れるので、ぶつかった時に相手を大きく傷つけることも少なくなります。ボディをそれほど頑丈にしなくても良いので、エコプラスチック・木材・新時代の紙などで構成する可能性を持っています。広島大学升島努氏発明の走るエアバッグも有ります。

 柔らか素材でできた軽いボディーとゆっくり走行で、歩行者やまわりの生き物にも優しいくるまづくりができます。空気を綺麗に保つだけでなく静かさを守り、生き物を大切にする、環境への優しさステップアップです。


 しかし一気に理想的な姿になりませんので過渡期の対策が必要です。平泉の自転車タクシーとかパリのレンタル自転車のように、限られた地域できちんと管理された使い方から始める必要があります。

 観光地では平泉や奈良のように観光ポイントが少し離れて点在していたりすることが多いので、第三の交通機関、観光立国の目玉としても活用可能です。景観にあったジャパンクールを感じさせるようなカワイイ色と形で、地域地域のご当地「くるま」を仕立てれば新しい観光資源にもなります。


















八  超くるま社会のはじまりは ニッポンのふるさと奈良を起点に


  起点は奈良からと考えています。

 ひとつの理由は「いのち」。奈良公園の鹿のいのちも大切にしたいからです。日本人は人のいのちだけでなく生き物全てのいのちを大切にしてきました。食事の前の、いただきます、は米も含めて様々ないのちをいただくので、大切にします、という祈りと感謝の意味合いだそうです。鹿とぶつかっても鹿に大きなダメージを与えない事を目標にしたいと思います。

 ニつ目はニッポンの「ふるさと」奈良。日本社会の起点です。
観光地としての奈良の役に立ちたい事です。奈良公園近辺の東大寺大仏や春日大社は歩いて行ける距離ですが、法隆寺など多くの寺々は点在しているので、レンタルやタクシーあるいはカーシェアリングで、このくるまが有ると巡りやすいのです。

 三つ目は古事記です。ニッポンの「こころ」。文明を見直すメッセージとしてです。律令制度が初めてもたらされた当初、現在の所謂官僚化のあやうさを観てとった時の天皇が、将来、律令制度が入る前の日本に戻れるよう編纂を指示して作られたのが古事記です。その古事記発祥地奈良で新しいニッポンを考えるきっかけにしたいという強い想いが有ります。

   さらに、あたたかくて懐かしい地域コミュニティーが息づいているのも嬉しい要素です。





















おわりに

 2010年、クールジャパンをきっかけに、ニッポンの核(CORE)になる考え(IDEA)を見つめ直し、次の世代に夢と希望をつなげようとCOREiDEAプロジェクトを立ち上げました。新しい産業を興すことだけにとどまらず、教育の問題をはじめ世直しの必要にまで想いが広がりました。一年の間に50人にも及ぶ多くのご有志のお力をいただくことが出来ました。

 日本は電機も自動車もその他の産業も、同じような商品を作りながらも国内で切磋琢磨した成果をアメリカを中心とした海外マーケットに持ち出し外貨を稼いできました。テレビなどは日本人の感性を生かした綺麗な画面ときめ細かな操作感やいたれりつくせりの装置、自動車は壊れにくくて燃費の良いバランスの取れた性能と装備、つまり製品としてすぐれている事に加え、何よりも製造現場の強さによる品質の良さで大量生産大量販売の産業社会で秀でた位置を占めて来ました。

 しかし台湾や韓国そして中国に追いつかれようとしています。一部ではすでに追い越されてしまいました。これまでは日本のモノづくり力を源泉とした品質と価格が日本の産業力の核(CORE)でしたが、これだけで競争力を保つのは困難な時代になって来ました。新しいCOREを創り出す必要に迫られていると感じています。

 過去を遡れば、カラオケや即席カップ麺、ウォークマンハイブリッドカーなどジャパンオリジナルを創ってきた実力があります。大量生産大量販売は効率が求められますので、創造性は二の次になって来ていましたが、これからはお家芸の想像力IDEAを活かす、得手に帆を上げる時代がやって来たというわけです。

 新しい産業社会を創り雇用を増やすと同時に、やりがいの有る楽しい仕事で、若者を元気にして、夢と希望にあふれた明日をみんなで力を合わせて創る準備を着々と進めて来ました。

 2011年、東日本大震災です。3.11は日本人の本質と文明の在り方を考え直す機会を与えてくれました。フクシマは文明を揺るがす大事故です。利器としての文明の在り方を根源的に変えていかなければならないと強く感じさせました。「いのち」を一番に考えないと人類は破滅に向かう。梅棹忠夫の警告を現実のものとして感じました。

 原子力は、ヒロシマにより平和利用への大転換がうながされました。今度は「いのち」一番への大転換です。これまでは経済性優先の考え方に支配されてきましたが「いのち」一番にして出直しです。

 原子力だけではありません。たとえば自動車も「いのち」一番に作り直していく必要があります。大津波では、流された自動車に押しつぶされただけでなく、自動車火災により避難所そのものが燃えてしまうというような惨事に見舞われました。考えて見れば、どんなに安全な乗用車でも大型トラックなどと衝突してしまえばひとたまりもありません。同じ道路を走っているからです。道路交通そのものを「いのち」一番で考え直す必要が有ります。

 原子力発電にしろ自動車にしろ「いのち」一番への転換には長い時間と多くの困難を覚悟しなければなりません。しかしヒロシマナガサキが世界を変えたように、日本こそが先頭になって文明の在り方を変えていかなければなりません。それが生き残った我々の使命です。

 梅棹忠夫は文明を装置と制度と定義しました。文明のうちのもうひとつ、制度が復興を妨げています。ヒトが作った様々な決め事が復興への活動を束縛し、多くの時間を要することに立ち至っています。ヒトが作ったものがヒトの幸福をはばむという皮肉です。装置そして制度、つまり文明そのものを「いのち」一番に組み立て直す歴史的な大転換を始めなければなりません。

 COREiDEAはテーマとして他に、コミュニケーションロボット、世代を超えて自然から学び絆を築く仕組み、一人暮らしの人を見守る仕組み、などを考えています。

 しかし何よりも、千年に一度の大災害3,11に向き合うことが全てに優先して重要と考えています。約千年前に古事記は、大陸から律令制度を導入していわゆる官僚化の兆しを観てとった時の天皇が いつでも律令前に戻れるよう、稗田阿礼の口伝を太安万侶に書き留めさせたと伝わっています。

 ここから二つの知恵を学びました。ひとつは口伝の重要さです。稗田阿礼は飛び抜けた記憶力を持っていたと言われます。文字が無い時代、ヒトは口と耳で情報を伝えて来たに違い有りません。その時代の人々は全て、現代人をはるかに超える素晴らしい記憶力を持っていたのではないかと想像します。何故なら古代の遺跡はすべて今回の津波の到達ラインの内側に残っているということ。おそらく貞観地震のその前千年前の巨大地震巨大津波の事が代々言い伝えられての事ではなかったかと思います。

 ワープロやパソコンに頼ると文字を忘れてしまう、というのがヒトの頼りなさを表しています。道具に頼るとその分失われるものが大きいうことです。我々現代人も口伝の重要性を再認識すべきではないかと感じています。親から子へ代々大切な事を伝えて行くには口伝こそ最も確実な方法に違いないからです。文字あるいはデジタルデータは残すのは簡単ですが特に災害後に探し出すのが大変です。それに、何よりも、感情や想いが生き生きと伝わらないという弱点があります。目を見ながらこころで伝えることが一番です。

 もうひとつは文明の在り方の再点検です。科学技術に頼ってきた歴史はまだ浅いです。せいぜい産業革命以降と考えていいのではないでしょうか。まだ間に合うと思います。千年前の日本人を鑑に現代文明を見直す絶好のチャンスです。そのスタートの場所として奈良を選ばせていただきたいと思います。物事が問わず語りに象徴的に伝わるからです。奈良という場所は法隆寺東大寺春日大社といった千年の歴史を経て多くの日本人の知恵がつながっています。装置と制度その両方を見直す場所として最適です。

 きっかけは自らの鑑としてきた、ソニー創業者のひとり、故盛田昭夫の縁でした。彼を支えてこられた中野和久さんからご紹介の鈴木邦宏さんが鍵となる大きな絆をつないでくださいました。

 それまでニッポンの産業力を何とかしたいと強く思いながら具体的な行動とならず、もがいていました。思えば、初めてソニーに触れたのは初期のオープンリール型テープコーダでした。重くて大型だったので、父はそれを背負って帰宅しました。途中お巡りさんから怪しまれ職務質問を受けたという思い出とともに、その後のトランジスタラジオやテレビなどを通じて、ニッポンの素晴らしい産業力を身近に感じて来ました。マーケティングに魅力を感じ、それを学び身につける過程で盛田昭夫の存在を知りました。

   さて、クールジャパンです。クロサワやアキラ・トリヤマは言うまでもありません。スティーブ・ジョブス盛田昭夫の存在無しではあのような業績を残せなかったと知りました。目標はSONYでした。クロード・モネヴィンセント・ファン・ゴッホは浮世絵によって絵画のブレイクスルーを成し得たと言われます。そのヨーロッパが壁にぶつかっています。

 日本文化に根ざした新たな産業を興すことは世界に貢献出来るに違いありません。


世直しという大きなテーマをいただきました。
COREiDEAという名称をいただきました。
絆の大切さを教えていただきました、3.11より前ですから今となっては驚きです。
映画ナイトライダーから相棒としてのクルマ、女性脳男性脳からライフサイエンスへと導いていただきました。
海外から見た日本文化の素晴らしさを実体験としておしえていただきました。
女性の個室について目を開かせていただきました。
本としてのありかたをさりげなく分からせていだだきました。
COREiDEAのプロジェクトを牽引してくださいました。
フランスの現地の様子を感じさせていただきました。
気の利いたカーナビがあったらどうなるかインスピレーションをくださいました。
自動車のメカニズムの本質を感じさせてくださいました。
中小企業の有るべき姿を感じさせてくださいました。
クールジャパンについて分かりやすい言葉をくださいました。
大好きな漫画家さんへの背中を押してくださいました。
漫画やアニメの世界について詳しく教えていただくことができました。
ソニーの営業さんの苦心を知る機会を作ってくれました。
くるまのコンセプトについて的確な表現を教えてくれました。
遠くにいらっしゃっていつも素晴らしいアイデアをくださいました。
高齢者用自動車について本質をついた鋭いアドバイスをいただきました。
ロボットの可能性をいつも感じさせてくださいました。
カーデザインの在り方を教えてくださいました。
本物のデザイナーの生き様を感じさせてくださいました。
エコ商品への知恵と高知のクルマの有り方をアドバイスいただきました。
地域の重要性、地域活性化が日本を蘇らせると気づかせていだだきました。
絆復活と学びの舎のアイデアをいただきました。
株式会社だけでなく様々な起業の在り方をおしえてくださいました。
東日本大震災被災地の方々の真情を伝えてくださいました。
町工場の素晴らしさと心意気を教えてくださいました。
困った時いつも鋭いお知恵で助けていただきました。
貴重な資料を惜しげもなくくださいました。
本の書き方を怒らずに粘り強く教えてくれました。
何でも力になるよって強い目ぢからをいただきました。
いつも寄り添っていてくださいました。
多大なご協力をいただきました。

そして
日本リサーチセンター加藤洋史さん   日本地域社会研究所落合英秋さん 
本を書くなどと言う、大、大挑戦に挑ませていただくことが出来ました。励ましと勇気とお知恵をありがとうございました。

皆様本当に本当にありがとうございました。

拙い文を ここまで読んでいただいたお顔も名前も存じ上げない方に深くお礼を申し上げます。

以上 2012年初春 石川 蓮。

反格差デモについて 久保重明さまへ

久保重明さま 2011年11月8日
                       桒原利行 九拝
 
こんにちは。反格差デモについて、久保さんにいただいた内容をふまえて、わたくしなりの所感を述べさせていただきます。
 
(1)産業革命(大量生産大量販売)の終焉。
 
まず、(わたくしの)歴史観を述べさせていただきます。
 
18世紀イギリス発祥の産業革命=大量生産大量販売経済はヨーロッパ、アメリカ、日本そして(近年の)中国、インドなどアジアへと展開してきました。
同時に発達した経済学によるGDP信仰もあり、右肩上がり経済(=GDP膨張)という枠組みを前提としてきました。
しかし、イギリスをはじめヨーロッパ、日本そしてアメリカの順にその枠組みが崩れてきました。(注記:日本よりアメリカが後になったのは移民による後進国性の導入です)実物経済から金融経済そして知識経済への転換を余儀なくされています。
右肩上がりの時代ですから、深く考える必要もなくイデオロギー(思い込み)に依存することが可能でした。資本主義、共産主義などなどです。
大量生産大量販売には大量の資源と大きな市場を必要としますので、その奪い合いで20世紀は戦争の時代になりました。中国は遅れて来たので未だに帝国主義気分です。
イデオロギーに依存するということは二元論病にかかることでもあります。議論がしやすいし、正しい正しくないの二つですから戦争の理由付けに便利です。
 
(2)二元論の終焉と新しい枠組み(政治制度)の模索
 
アメリカは多くの民族を抱えていることから、民主党共和党と�いう労働者対資本家という分かりやすい利害集団を基盤とした二大政党政治でうまくやってきました。�(久保さんに教えていただいたように、根幹を握っているのはユダヤの巨大資本のようです)しかし、もうその枠組み自体が成り立たなくなって来たんだと感じています。
 
日本も同じです。アメリカを真似て二大政党政治を目指しましたが、誰がリーダーになっても結果は出ない。(右肩上がりの時代は大きなミスさえ無ければ誰がリーダーでも構わない時代でした)日本も枠組みを変えないと立ち行かない。
 
ヨーロッパ、日本そしてアメリカと新しい政治制度の模索の時代にいます
 
 
 
(3)デモ
 
デモという民主主義の訴求手段は日本には根付きませんでしたが、フランスそしてアメリカさらにアメリカ思想が広まったアラブでも大きな力となっています。インターネットという情報技術の発達が支えています。
かつての中国の天安門のように、あるいはアラブのように、デモを武力で抑えることは難しくなっています。リビアのようにインターネットにより兵士そのものの気持ちが揺れてしまうからです。
オバマはその本質を理解しているから反格差デモを押さえつけられないわけです。しかしデモに参加している人々の中核にいる人はオバマあるいは他の誰が大統領になっても満足できないのではないかと感じます。どうしようもない経済の停滞により、反動で共和党に政権が移る可能性も無いとは言えません。(候補者の決め手がみつからない様子ですが)
 
(4)カネからココロへ
 
わたくしの(いつものように楽観的な)見通しを述べさせていただきます。
一部のユダヤ巨大資本による支配が終わると思います。インターネットはココロをつなげココロを起動させて社会が動くからです。
ただ、すぐには難しいと思います。ヨーロッパが戦争の時代を終わらせるのに100年近くかかったように、カネ本位の社会を終わらせるのに同じくらいの時間がかかるかもしれないので、21世紀の終わり頃になるでしょうか、新しい枠組みが生まれるまで。それまでは混乱の時代が続くと思います。
(武力による混乱の時代ではなく経済の混乱の時代です)
 
 
以上でございます。引き続き考えて参ります。ご指導よろしくお願いします。

TERRaKOYA(1)

宝永の大地震津波からたちあがった日本

それまでの開拓による大量生産から打って変わって
肥料の工夫など栽培法の知恵を働かせた


さらに寺子屋を興したことも大きい


今でなら西日本大震災と名付けられるに違いない天災を受けて

新しい産業創出

日本ならでは日本人らしいアプローチで新しい産業創出


中小企業を表舞台へ

創る楽しみ
使う楽しみ
つながる楽しみ

場所文化高揚


脱産業ピラミッド
脱大量生産大量販売
脱東京一極集中

新しいライフスタイル提案