超論 石川蓮

超論 3.10までのニッポン 石川蓮


1    右肩上がりの時代は終わりを告げました。 時代の変わり目に我々は立っていると思います。

 明治維新以降日本人は、文明開化を旗頭に坂の上の雲を目指すがごとく遮二無二前へ前へと進み、一旦は太平洋戦争敗戦での挫折を経験しましたが、再び立ち上がり戦後の復興、そして経済大国へとのしあがりました。ソ連崩壊後はアメリカに次ぐ経済大国と自他共に認める程になりました。つかのま中国に譲りましたが。。
バブル崩壊以降の失われた時代が、もしかしたら底を打ったか、という期待を持ち始めたところに東日本大震災に見舞われました。

 海外では周回遅れの国々が経済力を高め、量の面で日本を凌ぐのは明らかです。人口も多い国土も広い、中国だけではなくインドなどを含めたBRICSと呼ばれる国々が右肩上がりを続けているからです。

 心配は量の面だけではないという気配も有ります。日本のお家芸と言われた電気産業や自動車産業の分野で日本のメーカーに取って代わる強いメーカーが現れてきました。質の面でもあやうい状況が観て取れます。

 国内の情況はといえば、国の借金は途方もないくらいに膨らむ一方で経済は停滞を続け返済の見込みが立たない状態、人口減少や若年労働者の激減など統計的数量的に見るかぎり、暗澹たる黒い雲が行く先をはばんでいます。気持ちの面でもすさんでいるようです。毎日100名の方が自死を選んでいる勘定になります。若い人には夢も希望もないと報道は伝えています。質の面でも弱っている日本です。坂の上の白い雲を目指していたが、いつのまにか暗雲が垂れ込め視界は狭く見通しが効かない場所に来た印象です。

 現在のニッポンの置かれた情況をどう考えるか。大きく二つの立場が有るように感じます。

一つは日本のモノづくり力を持ってすれば、アジア諸国、なかでも韓国や中国といった東アジアに十分対抗できるという見方です。

もう一つは時代が変わった、従来のやり方では通用しないという見方です。しかしながら政治が問題だ、という立場の方が多いように感じます。

 私のよって立つところはこうです。私の時代認識です。
時代が変わった。今までのやり方は通用しない。

モノづくり力だけに頼ったところで国際競争力を保つ事ができるとも思えない。経済だけでなく、ニッポンの在り方やモノの考え方そのものを変えないと立ち行かない。

しかし世の中を変える力は、制度を変える権力は政治が握っている。明治以−096jy、g降のように政治がリーダーシップを発揮してくれれば進めやすい。ところが政治はかつてのような力強さを失っている。仕組みそのものが機能しなくなっている。一番の課題は、国民から信頼されていない事だ。

 信頼の無いところに絆は生まれません。ひとりひとり変えようとする想いを持った人達が絆を創りなおして、一個一個積み上げていくしか方法は無いと感じています。ニッポンは「まごころ」をつないで「みんな」で困難を克服していく。これが日本人らしやり方だからです。


 まずは大量生産大量販売の経済の本質について考えてみたいと思います。 

                                               


2 まずは産業革命の時代までを遡ってみます。わたくしの結論は、産業革命当初と本質は変わっていない、歴史の速度だけが違う、ということです。

 第二次大戦まで、ニッポンは西欧列強を目標と定め、追いつき追い越せでやって来ました。西欧各国の中で最も強い国を手本にしてきました。法制度の整備、医学、数学、物理学、化学など自然科学そして技術それぞれに一番優れた国を選んできた歴史が有ります。

 江戸時代、国を閉ざす直前はオランダを選びました。当時最先端の国でした。鎖国をしている間に、西欧はオランダの時代、スペインの時代、フランスの時代、イギリスの時代へと変遷していました。末期にはアメリカの時代も始まりかけていました。江戸末期、多くの人々は当初オランダ語をこぞって学びました。オランダへの窓だけが開かれていたからです。やがて英語に大きくシフトしていきました。なぜならイギリスから産業革命が興り、急速に技術革新が進んでいて、イギリスそしてアメリカが最先端と分かったからです。

 産業革命とは何だったのか。私は教科書で、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関が産業動力として生産性を際立って向上させた、と学びました。今となっては、少し違うのではないか、と感じています。大量生産した物資を運ぶ物流と、それにも増して情報を素早く伝える通信の発達がより重要ではないかと感じるようになったからです。鉄道敷設には時間がかかりますので、蒸気船が果たしていた役割は、物流手段にもまして通信手段として、とても大きかったのではないかと思います。
 
 明治維新を考えると、情報伝達の速さが無かったら明治維新は成功しなかったのではないかと思えます。薩摩と長州が維新の推進者、それも西郷隆盛木戸孝允といった中下級武士が中心となって動かしていたからです。彼らには上司がいました。島津氏、毛利氏という藩主、大名です。何事も上司に諮って了解を得なければ進みませんでした。意思疎通をはかるためには江戸や京との行き来を頻繁に行わなければなりません。いっぽう江戸には黒船が押し寄せ、アメリカだけでなく、イギリスやフランスもやってきています。時々刻々と情勢は変わります。それぞれの国の思惑が違っているだけでなく、各国が幕府と薩長のパワーバランスを推し量りながら戦略を練りつつうごめいているからです。現在のように情報通信やテレビ、ラジオも無い時代です。新聞すら有りません。そういう時代に最も力を発揮したのは蒸気船でした。現在は東海道が日本の大動脈ですが、そのころは瀬戸内海が大動脈でした。平清盛が切り開いて置いた海の道、その道を使っていたのです。西郷隆盛は何度となく瀬戸内海を往復してネゴシエーションを行っています。京と鹿児島の間です。当時、藩と藩は別の国でした。陸路で京から鹿児島まで行くには多くの藩を一つ一つ通る必要が有りました。蒸気船は一足飛びで目的地に向かうことができました。今の時代で例えれば飛行機と同じです。

  情報の流れが歴史の速度を決めています。理由は明快です。歴史はヒトが創るからです。ヒトの脳が情報を処理して出力として手足を動かすからです。
 現代は情報時代と呼ばれていますが、産業革命以降、本質は何も変わっていないのではないでしょうか。


3 鉄の文明の始まりまでを遡ります。わたくしの結論は「攻め」に重きを置く「縦の絆」にずっと頼ってきたと、ということです。

 大量生産大量販売の経済のはじまりはどこまで時代を遡ればよいか。つい最近までも産業の米と呼ばれてきた鉄の歴史を振り返ってみようと思います。

 製鉄技術が広まって,日本では米の生産性が飛躍的に向上しました。鉄の無い時代、土を耕すにも山を切り崩し新しい耕地を開墾するにも石と木しか有りませんでした。鍬など鉄製の農機具が出来てはじめて産業としての農業が始まったのではないでしょうか。それまでは自給自足つまり狭い地域ごとの経済社会なので、業という呼び方さえ無かった時代です。鉄により、自分たちの生活必要量以上に収穫が可能になり経済そのものが始まりました。同時に武器としても鉄は技術革新をもたらしました。

 時代を下り武家社会へのシフトに焦点を当てます。平清盛が生きた時代以降です。
大陸とは違って日本は和を尊ぶ安定した社会が出来上がっていました。奈良時代以降の天皇を核COREとした社会です。ですから平安時代まで武士の役割は「守り」でした。貴族に養われ荘園など貴族の生命や財産を守る役割でした。

 平氏、源氏という武士の組織化が軍事力としての武士、つまり「守り」だけでなく「攻め」も可能な体制を作りました。平氏は、それまでの貴族政権体制の枠組みの中でしたが、源氏は幕府という武家独自の政治体制を築き上げました。武士道と呼ばれるまで洗練されるには時間がかかりましたが、「御恩と奉公」という組織理念を示し、その後の武家組織の形態を決定づけたのは北条政子でした。

 「御恩と奉公」は、西洋の契約と違って、心と心のつながり、それも上下関係の心のつながり「縦の絆」を形成し、現在までの日本人のメンタリティーに支配的な影響を与えています。端的な例は派閥の領袖と派閥構成員の関係です。武士の場合は武器と生活財が心の代償でしたが、議員の場合は選挙に勝つ地盤看板鞄が心の代償になっています。日本の政治体制を変えにくいのはこのメンタリティーの存在です。西洋は理念と契約の世界ですから革命も容易ですが、日本の場合はそうは行きません。御恩と奉公に根ざす「縦の絆」が連綿と続いています。

 明治以降になっても、宮本武蔵五輪の書新渡戸稲造の武士道が経営書として海外でも尊重されるのは、現在の経済社会でも武士の志向、つまり「攻め」の方法論に役立つからと考えています。

 整理します。大量生産大量販売のメンタリティー、競争の精神は、ニッポンで考えれば武士の「攻め」の精神から来ていると考えています。そこへ今回の東日本大震災を照らし合わせて見ると分かりやすくなります。たびたび引き合いに出される千年前の貞観地震、特に巨大津波の災害が起きていました。千年のあいだ日本人には十分な「守り」が出来ていたとは言えません。武家社会以降「攻め」ばかりに心を奪われていたから、と私は考えます。

 大きな災害に遭って力を発揮したのは絆です。「横の絆」です。縦の絆は攻めに役立つものですが、横の絆は守りに役立つのではないでしょうか。

4 これからは守りのための「横の絆」も基軸にした新しい社会を創らないといけない、と確信します。

 日本企業は家族主義を標榜して高い組織力を備え、国際的な競争経済社会の中でも存在感を示して来ました。家族という言葉を使いながらも心情としては武家社会の御恩と奉公に根を持つ「縦の絆」ではなかったでしょうか。財を心の代償としてきました。
 
 東日本大震災のような大きな災害が大都市で起きたらどうなるでしょうか。もしも会社が社屋や設備もろとも消失し社員はバラバラに、そして更に家族まで失った時。自分は生きて行けるか、自問自答してみました。東北の被災者の方々の心情が私共には到底想像の及ぶものでないことは自覚しています。理解できないという前提です。しかし報道によれば、地域のコミュニティーが力を発揮しているのは間違いないと思います。私共には会社と家族以外に絆が思い当たりません。財を代償としない心の絆「横の絆」を見直さなければならないと感じています。


5 右肩上がりの時代は予測出来た時代でした。

 競争の時代が続いています。武力、軍事力を使った時代から、物量つまりカネと言葉を使った戦いに変容をしてきました。けれども競争の時代という意味では同じです。ペンは剣より強し。ペンの力すなわち言葉も人を傷つけます。

 競争の時代に守ってばかりでは負けてしまいます。攻めが重要なのは言うまでもない事です。競争の時代には、勝つため相手を攻める正当性が必要です。理論構築が重要です。競争の時代は理論の時代と言えると思います。

 現在の科学技術の大半はニュートンの力学の法則をもとに計算され設計されています。質量に加速度をかけると力が計算され、これに微分積分などの演算手法を組み合わせれば機械設計はできます。電気の世界も同じです。化学の世界は物質の組み合わせが無数に有るので、まだまだ未解明な部分が残りますが、一定の法則が見つかれば多くの現象を説明可能、という点では物理学の世界と同様です。経済学も同じ発想で発展してきました。過去の事実から仮説を立てるという手法です。

 理論構築は積み木のようなものです。下から積み上げて上まで完璧に積み上がる理論は数少ないです。しかし学問の世界では、なになに理論というものを組み立てた人が評価されました。しかし時が過ぎればおおかたの理論は破綻します。事実のよって覆されるのです。最も衝撃的なのはアインシュタインでした。ニュートンの前提である、質量と加速度は独立であるという仮説をひっくり返してしまいました。

 理論の時代は、簡単な内容を複雑に表現する時代でも有ります。
ルネッサンスは、キリスト教を神学としてどんどん複雑に難解にしてきた歴史を一旦クリアーしましょう、という運動だったと理解しています。人類の歴史はぐるぐる似たような繰り返しです。

 スパイラルにどんどん進歩するなら人類にとって幸福な事ですが、全てが総て進歩とは言えないと考えています。後戻りできない部分もあります。卑近な例が文字です。人類が文字を得た事で文明が発達した事は疑いが有りません。しかし記憶力は圧倒的に劣化したに違い有りません。ワードプロセッサーやパソコンで漢字が書けなくなった事で良く実感出来ます。

 少し前まで未来は予測出来ました。右肩上がりの時代だったからです。情報を正確に集め、緻密に組み立てれば予測が出来た時代でした。過去の事実から考えた仮説が成り立った。つまり今までの趨勢を延長させれば未来が見えました。

 エコノミストと呼ばれる人達や経済学者、人によって学派によって様々な予測を立て、政策提案をしていますが、決め手が見つかりません。なになに理論を振りかざしているだけのように見えます。

不透明の時代、不連続の時代とも呼ばれます。


6 右肩上がりの経済に有っては、創造力を必要としない。ただなぞるだけで済みました。

 話題を経済、アメリカを中心とした産業に移しましょう。

   実態が見えない金融経済はいずれ縮小し見直されると楽観的に考えています。バブルが起こるのもバブルが崩壊するのも実体経済ではなく金融経済でのことであり、長い時間はかかるにせよ、さまざまなバブルを経て、賢い人類はそれを管理可能なかたちに改めていくに違いないと考えています。そうでないとグローバル経済そのものが成り立たないからです。金融経済がどうなるかという議論は別にして、本稿では実体経済に絞って検討します。ニッポンにとって重要なのは実体経済だと考えるからです。

 アメリカ中心の経済は新しモノ好きDNAのなせるワザでした。
世界で言えばアメリカやブラジルなどの新世界、移民で成り立っている国々。日本で言えば東京。どちらも他のマーケットとは異なった特別なマーケットです。

乗用車のモデルチェンジやパソコンのグレードアップ、ウィンドウズのバージョンアップの例が分かりやすいと思います。新型商品の価値、つまり新しい付加価値と価格のバランスが折り合いません。とても理性的な価値判断で買い換えているとは思えません。マスコミによる広告宣伝が効果を発揮します。人口密集地域では新型商品を持っていることがステイタスになります。住宅もそうですが、自動車もパソコンそして携帯電話も同じかたちを取ってマーケットの拡大が連鎖します。

アメリカ経済が世界経済を牽引してきました。中国の場合もアメリカ文化にあこがれ、新しいモノを持つことに誇りを感じる人々が増え続ける限りは同じかたちでマーケット拡大が続くと思われます。

 このような大量生産大量販売はそのメカニズムさえ理解できれば、どの国どの民族でも勝つことは可能です。なぜなら創造性を必要としないからです。目先が新しければそれで事足りるからです。ましてや中国のように桁の違う大人口を擁するマーケットが有れば尚更強みになります。

 ニッポンはアメリカを見過ぎました。異質の国、異質のマーケットにも関わらず、アメリカを手本としてきました。第二次世界大戦に負けて占領下に有ってもアメリカは紳士的に振る舞いました。日本人はアメリカの生活に憧れて高度成長時代をひた走ってきました。

団地に住み核家族で、最新の電化製品に囲まれた近代的な生活を夢見て一生懸命に働きました。モータリゼーションの波にも乗ってきました。働きバチとかウサギ小屋とか揶揄されましたが、モダンな生活は良いもの、素敵なものと思って目指してきました。誰にでもチャンスがめぐる明るい社会のイメージも有りました。止むを得ない部分も有ります。

 根本的に日本人はアメリカ人のような新しもの好きでは有りません。DNA分析でも結果は出ています。(NHK教育テレビ「サイエンスZERO」)

新しもの好きは、特に情報産業、ITの世界で顕著に現れます。アメリカは技術本位、モノ起点で商品開発を行っても売れる、そして、ある程度ビジネスとしても成功する巨大なマーケットを抱えています。

デファクトスタンダードを獲得しようと、シリコンバレーを発祥地として世界のIT産業が創られていくという、言わば信仰が蔓延しています。未だにシリコンバレー詣でに多くの日本人が訪れていると聞きます。

アメリカ人はルール創りが得意です。都合が悪くなればルールを変えてしまいます。日本人、特にIT産業の人たちはいつも右往左往してきました。パソコンの時代と呼ばれましたが、所得税計算を自分で行うアメリカと違って日本人にとってパソコンの必要性は限られていました。インターネットの時代と言われれば、これをどう使うかに腐心し新しいビジネスに集中します。しかし結果はご覧の通りです。開発体制や人材で優位を誇るアメリカにいつも覇権を取られてしまっています。


7 日本人は「有ったらいいな」の想いを起点に「ニッポンならでは」の商品を創って来ました

 日本人を見つめ直す事から始めたいと思います。

 トランジスタが発明された時、アメリカ人はこれを補聴器に使おうとしました。何故なら超小型の拡声装置がトランジスタによって可能になるからです。技術起点、モノ起点の発想です。

 いっぽう日本人はトランジスタラジオを開発しました。当時ラジオは大型でなおかつ高価でした。アメリカでは多くのチャンネルが有りましたが、一つに絞って家族皆で聴くしかなかったのです。それを発想の転換で、ひとりひとり好みのチャンエルを選べるパーソナル化、としてトランジスタラジオを位置付けました。新しもの好きのアメリカから火がつきましたが、ヨーロッパは冷めていました。日本での普及もそれ程では有りませんでした。ヨーロッパでの浸透には日本人の粘り強い営業力を必要としました。時間が掛かりました。日本では音楽好きの若者向けのラジオでようやくマーケットが形成されました。日本人は「有ったらいいな」の想いからはじめます。
 
 ビデオも同様でした。「有ったらいいな」の想いが起点でした。しかし開拓者は苦労しました。アメリカではハリウッドを中心に著作権を保護するルールがガッチリできていたからです。それをタイムシフト、つまり時間の都合で視聴できなかった番組を後で見る事が出来る、ある種タイムマシンとして、著作権法の解釈そのものを見直させてでもビデオに市民権を獲得させました、日本人が、です。「有ったらいいな」有れば人々が幸せになるという想いが有ったからだと思います。

 ウォークマンやカラオケ、カップヌードルハイブリッドカー。。などなども同様です。日本人の創った商品は技術起点やモノ起点ではなくて「有ったらいいなの想い」が起点です。

 「有ったらいいなの想い」からの創造がニッポンならでは日本人らしいスタイルです。ここに立ち戻ればいいだけです。

 競争ということで言えば、量の競争は他の国にまかせておいて、質の競争で実力を発揮することが競争優位を生みます。量の競争はほどほどにして、得意な質の競争に軸足を移してはどうでしょうか。量だけを追い求めない。同じ土俵で闘わない。独自の土俵を創る。これがニッポンの生きる道ではないでしょうか。

 大量生産大量販売の中での競争を続けるような日本人ではないような気がします。日本人は本来創造性が豊かだからです。マーケットを創造する能力を持っているからです。今となっては潜在的な能力と呼ばなくてはならないかも知れません。

8 これで行きましょう!「有ったらいいな」の想いを起点とした創造力をかてに。