超くるま社会の創造 石川蓮

「超くるま社会の創造」石川蓮



はじめに

 韓国や台湾そして中国などが国ぐるみでのし上がってきました。日本の強みであるモノづくりの優位性が失われていくのではないかと心配です。他の国には真似の難しい「ニッポンならでは」のモノづくりをどうしたら出来るのか。諸先輩のお話を聞いたり本を読んだり、私なりに一所懸命に考えてきました。

 そんな折りに二つの出会いがありました。ひとつは大好きな漫画家さんと模型家さんからの、こんなクルマが有ったらいいな、という想いとの出会いでした。素敵なコンセプトでした。なんとか実現できる方法を考えようと心に決めました。もうひとつは経済産業省でクールジャパンを始めた方から、面白い提案が欲しい、との投げ掛けでした。クールジャパンというのは、ニッポンならではの格好良さや賢さといった意味で、漫画・アニメ、日本食そして自動車が代表的なものということです。「ニッポンならでは」は「日本人らしい」事、つまりは日本文化から生まれると分かりました。

 これをきっかけに、ニッポンの核(CORE)になる考え(IDEA)を創ろうということで、COREiDEA(コアアイデア)という有志のプロジェクトが生まれました。国を憂いて手弁当でのご参加でした。のべ五十人にも及ぶ仲間の皆さんとディスカッションを進めるうちに問題がはっきりしてきました。若者に元気がない、夢も希望も持てないということが一番問題だということでした。若者にとって、やりがいの有る仕事に就けないばかりか、就職さえままならない時代です。勝ち組負け組といった競争ばかりの社会になっています。拝金主義とも言える経済偏重社会で心がすさんでいます。今こそ「日本人らしい」「ニッポンならでは」の産業を創り、若者が生きやすい社会に変わって行けばと望んでおります。

 東日本大震災福島原発事故から大切な事を教えていただきました。日本人にとって大切なもの。「いのち」。「まごころ」。「ふるさと」。また被災地福島県飯舘村からは素晴らしい言葉を教えていただきました。「までい」。両方の手を意味する古い日本語、真手、から発しています。両手の意味から転じて、両手で大切に、手間暇惜しまず丁寧に心を籠めて。

 若者が目を輝かせて楽しく働くことの出来る、夢の持てるニッポンにしたいとの望みがますます大きくなっています。しがない私がこんな大きなテーマに挑むようになったのは、仲間の皆さんとの活動の中で、日本人らしく「みんな」で「まごころ」を合わせれば何とかなる、そういう確信を持った事です。

 ニッポンには女性脳が創ってきた文化が有ります。平仮名文化です。特に女性脳の素晴らしさに触れ、女性脳のつぶやきを男性脳がかたちにする、ということに大きな可能性があることを実感しました。
「いのち」「まごころ」「ふるさと」を「みんな」で守り育み、有ったらいいなの想いを「までい」でかたちにして行けたらと願っています。

 この本の表紙をピンク色にしたのはこう言った想いからです。出来るだけ沢山の女性脳の人達の目に触れてほしいと考えています。男性脳の方々がもしピンク色が気恥ずかしい、見られたくないということでしたら、カバーを外していただくかブックカバーをかぶせていただけたらと願っております。
 皆様のお力を結集しないと実現できない壮大なテーマです。たくさんのアイデアをいただきたいと考えています。ご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

 ディスカッションのために、思い切った仮説を述べさせていただきます。コムツカシイ理屈を敢えて組み立てて有ります。反論やご批判をいただきたいので極論になっています。超論と名づけました。あわせてよろしくお願いします。






























   
一 超くるま社会の創造



(1)明日の産業としての、新しい自動車産業


・明日のための産業

   子どもの将来の働き場所を増やす、単に増やすだけでなくやりがいのある職場を創りたいと願っています。そのための新しい産業です。

 新しい産業は他の国々の追随を許さない「ニッポンならでは」の産業であることが重要です。
「日本人らしい」事も大切です。日本人に適した仕事ならば、生き生きとやりがいを持って働けるのではないかと考えています。


・新たな自動車産業

 多くの日本人が関わることのできる産業として、自動車産業の可能性を考えてみたいと思います。

 自動車産業は、日本の強みであるモノづくりの力とおもてなしの心を活かせる産業です。身近で馴染み深く、他の産業にも貢献出来ます。なおかつ地域的にも大きな広がりの期待できる産業です。

 自動車は鉄などの金属、ガラス、プラスチックス、繊維、セラミックスなど多くの材料でできています。製鉄や化学工業などの材料産業や加工産業だけでなく、電気産業、情報産業など幅広い産業との連携で出来上がっています。新たな産業が加われば他の産業でも雇用が増えてニッポンの活性化に貢献できるのではないでしょうか。

 代表的なニッポン、クールジャパンの中で漫画やアニメ、日本食と並んで一角を占めていることもあります。輸出への貢献だけでなく、ニッポンとして日本人としての誇りにつながるのではないでしょうか。

 自動車産業を「日本人らしさ」を活かした「ニッポンならでは」の産業として、新しい自動車産業を組み立て直してみようという挑戦です。従来の自動車産業に取って替わるのではなく、うまく融合して更に大きな産業力を持てるように考えたいと思っています。




(2)「日本人らしい」「ニッポンならでは」を考える


・「まごころ」

   クール・ジャパンと呼ばれる海外から見てのニッポンの魅力は、漫画やアニメ、日本食そして自動車とのことです。
どれも作り手の「まごころ」を感じる産業です。漫画家の「まごころ」農家や漁師そして料理職人の「まごころ」工場現場や販売現場の「まごころ」が核になっています。

 ニッポンの映画や漫画が海外の人々にとってなぜ魅力的か。考えに考え、考え抜いた私の結論。それは日本人そのものの魅力です。黒沢明監督の「七人の侍」も鳥山明の「ドラゴンボール」も尾田栄一郎の「ワンピース」も、名もない主人公達が力を合わせて悪と闘う。飛び抜けた独りのリーダーがいるわけではなく、仲間「みんな」で「まごころ」を集めて助け合うこと。日本人にとっては当然の事、あたりまえの事柄と感じることですが、海外の人々には新鮮に映るようです。徹底的な殺し合いはしない、平和を愛する心、優しさに溢れています。作品を創った人々、作者であり監督であり漫画家の「まごころ」があればこそです。作品の魅力は日本人の心、日本人の魅力が源泉になっていると考えています。

 画面の綺麗さも魅力的です。ニッポンの美しい山河をいつも観て育った人が作っているからと考えます。日本食が観て美しいというのも、美しいものを観てきた日本人だからこそ美しい料理を創ることができるのではないでしょうか。
 登場人物が親しみやすい、人なつこい、かわいいということも特徴的です・


・「きれい」「かわいい」

 海外からのお客様が口をそろえて言うジャパン・イズ・ビューティフル。美しい日本。富士山や京都の街並み、工芸品が美しいだけでなく、建物や道路が汚れやゴミが少なく綺麗に保たれています。「きれい」なニッポン。

 日本人には見て「きれい」を感じる優れた感性があると思っています。

 私はオーディオを趣味としてきました。個人的かもしれませんが、日本製品は西洋製品に音ではかなわないと感じています。海外製品はきれいな音を奏でます。楽器も同じです。聞く音楽が西洋楽器を使ったり、西洋音楽の様式をもとにしているからでしょう。西洋のオーディオ機器や楽器は、作る人が西洋の楽器の音色や西洋音楽の美しさに永く触れてきたからではないでしょうか。楽器にしてもオーディオ機器にしても西洋のものに一日の長があるという事ではないでしょうか。反対に、日本古来の音楽や琴や太鼓や三味線といった和楽器には日本製が良いのでしょう。

 ニッポンのテレビはどこの国のテレビよりもきれいと感じます。その理由も同様です。わたくしなりの結論ですが。見ての美しさ。これはニッポンの自然、美しい山河そして多彩な鳥や様々な生き物たち。これを観てきたからこそ美しい画面「きれい」な映像を映し出すことができるのではないかと思います。余談になりますが。テレビを造っている人達は、国によって喜ばれる画面は違う、きれいと感じる映像も違う、とおっしゃいます。もっと自信を持って日本製テレビの競争ポイントとして考えれば良いのではないかと、素人ながら考えてしまいます。

 「かわいい」は今や海外でも通じる言葉になりました。オタクなどと一緒にクールジャパンを表す場合も有ります。意味が随分広がりました。女子脳にとって魅力的、グッとくる感じが有るというような意味と感じています。最近ではユルイという言葉も広がっています。どちらも平和を基盤としているような気がします。競争を表に出した緊張感よりも、心がゆるんだ状態ではないでしょうか。「かわいい」も「ニッポンならでは」です。


・「みんな」

 海外に通用するニッポンの商品の代表はウォークマンカップヌードル。どちらも海外の辞書に載るほど世界的に広がり、文化とさえ呼ばれるようになりました。しかし発明者を個人で表す事は少ないようです。それに反して海外では、ウィンドウズのビル・ゲイツアイポッドやアイフォンのスティーブ・ジョブス、古くは自動車のカール・ベンツ、蒸気機関のジェームズ・ワット、電球のトーマス・エジソン、飛行機のライト兄弟、と発明者個人が知られています。

 日本人は新しいモノ・見た事もないモノを「みんな」で創りだしてきました。


・「ふるさと」

 東日本大震災福島原発事故では「いのち」と同じくらい「ふるさと」が大切である事を再認識させられました。生命の危険があってもなお「ふるさと」を離れようとされない方々が多いからです。

 ニッポンには地域地域に素晴らしい文化が残されています。司馬遼太郎によれば、明治維新までは、日本人共通の文化は着物だけだったようです。江戸時代の藩は閉鎖的でしたので、おそらく参勤交代やお伊勢参りくらいしか他のお国の人々に触れることはなく、よそのお国の文化を知る機会が少なかったのではないでしょうか。着物は参勤交代などでのユニフォームだったのでしょうか。

 今でもそうですが、方言どうしで話してもなかなか通じない場合が有ります。ラジオやテレビで標準語が知られるようになってから変わったのかも知れまん。衣、食、住それぞれに地域独自の文化が有ります。


・「までい」

 福島県飯舘村が推し進めていらっしゃる、までいライフ、から知りました。繰り返しますが「までい」は  両方の手を意味する古い日本語、真手、から発しています。両手の意味から転じて、両手で大切に、手間暇惜しまず丁寧に心を籠めて。

 ニッポンの強みはモノづくりとおもてなしだと言われてきました。単に、作り手が良いと思うモノを作ればよい、そうは思いません。使い手にとって良いものでなくては、と考えてしまいます。おもてなしもそうです。どちらも独りよがりにならず受け手の身になって考える事が大切なんでしょう。

 おもてなしと言う言葉には、いらっしゃった方をおもてなす、待ちあるいは受け身の印象を持っています。モノづくりとおもてなしのどちらにも、まごころ込めて丁寧にという事が根底にあると思えてなりません。真心で真手。「までい」という言葉がしっくりきました。

 飯舘村の村長菅野典雄氏はおっしゃっています。「やっぱり、日本は第三の転換期ですよ。明治維新、戦後そして今。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代を見直さなあければという時に、この震災と原発事故が起きた。。」感覚的には多くの日本人が共感を覚えると想像しています。このお言葉について、私なりに考え考え、考え抜いた結論として浮かんだ言葉は「いのち」です。モノやカネより「いのち」を大切に考えて全ての事を見直さないとと感じています。


・「いのち」

 ヒロシマナガサキ原子力の平和利用への転換のきっかけとなりました。フクシマを経済より生命「いのち」を大切にするきっかけになって欲しいと切に願います。

 すぐに解決するには難しい問題です。しかし、子ども達の将来、明日のニッポンを考えて「みんな」で心ひとつになれるよう努力を惜しまない覚悟です。







(3)超くるま社会とは

 ニッポンならではのくるま創り、平仮名の「くるま」です。

 日本人らしく「みんなで」「まごころ」こめて「までい」にお客様に届ける。

 さらには「いのち」一番のくるま社会を目指した第一歩を踏み出す!


 新しい視点の自動車産業を創りたいと考えています。ニッポンならではの日本人らしい自動車産業です。

「きれい」で「かわいい」くるまを
「ふるさと」を基盤にして
「まごころ」の絆をもつ「みんな」で
「までい」に作りたいと考えています。

 それぞれの「ふるさと」と「ふるさと」の絆をつなげ創造力を高めます。

 知恵やノウハウが財産です。これらの財産はニッポン全体「みんな」で共有できる形にします。

 人間だけでなく生きとし生けるものすべての「いのち」を一番に考えた社会を目指します。まずはくるま社会からです。

    

               
二 超くるま社会の「くるま」


・すごしやすい「くるま」
 
 ニッポンの道路事情を考えると出来るだけ小型にしたくなります。狭い路地ですれ違いがしやすかったり、お店の駐車場でドアを開けるとき横を気にしなくて済むからです。長さが短ければ渋滞も短くなります。

 しかし外形寸法から決めるより、乗る人のすごしやすさ、つまり内寸から決めたいと思います。乗る人にとっての最小限のスペースは確保します。広ければ広いほどすごしやすいという意見もあるでしょう。一方では身の丈に合ったという表現も有ります。日本人の住まいには畳一畳という標準が有りました。起きて半畳寝て一畳、とも言われます。松浦武四郎と言う人が畳一畳での生活を示してくれています。くるまの室内空間の基準を一畳から考えたいと思います。一人乗りの場合は長さ1800㎜幅900ミリの内寸を最小とします。

 三人乗りを提案したいと思っています。後で述べますが、脳科学の観点で同乗者の前方視界を確保することが大切だからです。全席一名後席二名での三名乗車です。後席横二名の場合、幅は一畳の1.5倍で1350㎜(900×1.5=1350)です。

 ペダルが無いほうが何かと便利です。ヒールの高い靴や、場合によっては和服でも運転可能です。床に荷物が有ってもペダルにひっかかったりする危険性が無くなります。アクセルとブレーキを手で操作することになりますから、ハンドルは自転車やバイクのようなバーハンドルです。運転姿勢は、そりくり返るより真正面を向いたほうが外から見て「きれい」ではないでしょうか。姿勢の良さと所作の美しさは日本人の美しさの基本です。

 すごしやすくするため、メーター類やスイッチ類は最少限にとどめます。出来ることならメーターもオーディオもカーナビもipad一つで間に合うと嬉しいですね。スイッチを平らで突起のないタッチパッドにすることで、室内デザインは、わたしらしい好みのインテリアに出来るような和室コンセプトです。


・「かわいい」カラーとスタイリング

 日本の風景に馴染むカワイイデザイン。自動車のデザインは走る場所の風景に溶け込むデザインだと「きれい」に見えるそうです。そう言われてみると今の自動車はつり目のヨーロピアンデザインが主流のように感じます。たれ目でカワイイ優しいデザインが有ったら、走っているのを見るだけでも「こころ」癒されるかもしれません。眺めているだけで心地よいくるまです。

 女性脳に心地よく感じてもらうために、カラーを重視したいと思います。一般的に女性脳は男性脳よりたくさんのカラーを見分けられると知られています。もっともっと女性脳の喜ぶカラーを創れたらと思います。

 乗っているヒトが「きれい」に見えるスタイリングがいいですね。
自動車はもともと操作に強い力が必要であったり、出先で故障したばあい簡単な修理ができないと困りましたので、男性運転者を念頭に作られました。レースなどのイメージも有って現在のような運転姿勢になっています。女性運転者にとっては必ずしも美しいとは言えない場合も多いと感じています。
 姿勢や所作、ドアを開けたり閉めたり、ハンドルを握る姿も外から見て「きれい」に見えるように出来たらと思います。くるまを選ぶ場所にはくるまも一緒に映る大型鏡とかカメラが必須になります。
 外板を鉄板でなくプラスティックや布あるいはフィルムで構成すれば、透明や半透明のくるまも可能です。具体的には実際に作ってみて女性脳にうかがいながら進めるしかないと考えています。男性脳では分からない分野だからです。


・気持ちの分かる相棒としてのくるま

   世界のどこにも真似の出来ない独創性が有ります。脳科学者光吉俊二さんの発明、音声による感情認識技術STです。乗っている人の声を聞き取り、その人の気持ちを認識できる、つまり気持ちの分かるくるま。

 使う人の気持ちを察する気の利くカーナビで、くるまが相棒になります。運転者だけでなく同乗者も含め乗っている人がどんなヒトかによって、またその時の気分やそれまでの経歴つまり相棒とのつきあい履歴によって道案内を変える心憎いカーナビです。
 
 趣味や嗜好に寄り添った場所を選べるので、くるまが旅の道案内をしてくれます。これなら各地の日本食や地域の歴史・文化を広める仕組みを組み込むことが可能になります。行った人の気持ち、感想を記録すれば、どんな人が気に入ったのか分かり、自分はどうか、参考になります。

 くるまの方から乗っている人達に話しかければ車内の話が弾み、携帯電話やメールで希薄になった若者同士の会話促進に役立つかもしれません。

 STについて簡単に。。
ヒトには手足や顔など意思に随う随意筋と、心臓や肺などのように意思に随わない不随意筋とが有ります。声を出す声帯の筋肉は不随意筋なので気持ちの状態が声にそのまま出てしまいます。声から気持ち、感情が分かってしまいます。この事を科学で解き明かしたのがST。Sensitibity Technologyです。


・部屋としてのくるま

 女性には個室が有りません。男性には書斎という名の個室が有りますが女性には個室が有りません。たとえ個室が有っても家にいては家事や育児についつい引き込まれてしまいがち。そのまま動きだし外出できる個室が有れば楽しいのではないかと考えています。自分専用の部屋ですから使い方は人それぞれ。くるまも人それぞれ。衣更えなど季節感を取り入れたり、和室発想で思い想いに模様替えのできる部屋だったら夢が広がるのではないでしょうか。

 わたしらしい「くるま」を創ることが出来る仕組みを整えたいと思います。


・ 人と人の絆を広げるくるま

 ゆっくりのんびり走れば、そう、自転車くらいのスピードなら、出会った人と挨拶が出来たり、見える景色も変わります。超小型で小回りが効くので路地や田舎の道も楽々通ります。ネットとは別のリアルの絆は顔と顔を合わせる事が大切です。自転車のように気軽に使えて、雨や風を気にしないで移動できる新しい交通機関です。

 大都会には薄れてしまった地域コミュニティーが各地に残っています。醤油とか調味料を貸し借りしたり、野菜や魚や貝などをおすそ分けしたりする、あたたかい懐かしい人々の絆が、日本人のDNAが呼び戻されるに違いありません。

 くるまが人と人の絆を広げます。

 電気自動車であれば、音が静かなので水の音、風の音あるいは鳥や虫たち生き物の声が聞こえたりします。ヒトと大自然との絆を呼び覚まします。

 途中で電池切れになると困ります。そんなに遠距離を走る必要も有りませんが充電の事はきっちり準備しておきたいものです。
携帯コンロのカセットボンベで動く超小型エンジンの発電機。
必要な時だけつけて発電できる自転車風ペダル。
発進時のモーターの力で充電できる機構。モーターは発進回転力が強過ぎるのでその余力で発電できます。
その他、いくつかのアイデアが考えられます。

いちばん大切な充電機能。
それは他の「くるま」につないでもらって電気を借りられる機能です。
お隣さんに醤油を借りたり、お向かいさんに留守番を頼んだりする「横の絆」です。「ニッポンならでは」の魅力的な機能です。


・子どもも、動く景色を楽しむくるま

 自動車に乗る最大の魅力は前方の動く景色と考えています。脳の認識の四割は視覚からです。視覚は、聴覚や嗅覚あるいは触覚と比べて、遙かに大きな位置を占めます。海の魚や空の鳥を考えれば動物としての目の大切さ、記憶や情報処理についても目に見えることの重要性は説明の余地が無いと思います。世界最初のベストセラーカー T型フォードが人々に喜ばれたのは前方の動く景色だったそうです。

 その意味で前席一人後席二人の三人掛けは面白いと思います。前席は中央に一人ですから、後席二人の人には今のクルマより広い前方視界が与えられます。窮屈感も少なくなると想像できます。クルマで四人以上乗ってドライブすることは稀です。なぜか三人が多いような気がします。

    若者の自動車ばなれの要因はいくつか挙げられますが、脳科学から考えると二つ有るような気がします。
一 幼い頃から自動車で楽しい体験をしてこなかった事から、脳に自動車についてポジティブな記憶が少い事。
二 前方の動く風景の素晴らしさに脳が感動した経験が少ない事。

 幼児の頃は窮屈なチャイルドシートに押し込められ、ようやくシートに座れるようになってもシートベルトで縛られ、目の位置が低いので景色は空しか見えない。元気な子どもは後席に追いやられ、静かにしろと怒られる。

 今の若者に自動車での楽しい記憶が少ないのは間違いないと思います。脳が自動車嫌いになってしまっているかもしれません。

 自動車離れという言葉は売り手側の都合から来ていますが、自動車が楽しいモノ、嬉しいモノ、脳に心地よいモノであって欲しいのは使い手、乗り手も同じ望みです。


・わたしらしいくるま

「気軽に買えて 自転車のように使え、止まって誰かとおしゃべりしたり、お茶を飲みながら音楽を聴いたり本を読んだり  気ままに楽しめるくるま」

現代風に言えば「走るアプリ」

「移動可能な秘密基地」

「コンパクトな隠れ家」

「変幻自在なじぶん空間」
・・・

 一人乗り、三人乗りさらに四人乗りまで可能ですが、室内スペースは畳一畳が基準です。一般的な畳は長さ1800mm幅900mm。
このサイズならベビーカーはもちろん、後ろから車椅子のまま乗り込むような仕様も可能です。一般的な車椅子のサイズは長さ1055mm幅665mm高さ865mm(乗って約1400mm)座面が長さ400mm幅450mm。

 一人乗りなら自転車も積んで行けます。出し入れが簡単なように後ろに扉をつけるのです。
釣りや模型飛行機など趣味の楽しみ。
お気に入りの椅子を載せて行って、公園とかの木陰でゆったり季節を楽しむことも出来そうです。

 一人暮らしのお年寄りがお使いに出かける時には荷物スペースも広々です。畑とか海辺へ、少しの荷物だったら後ろに載せて行けます。見守るほうも屋根がついていて安心ですし、社会に役立っているのが感じられます。
 
 将軍の厠からヒントを得て開発された岸友三氏発明の移動用無臭トイレが有れば安心です。

 メーター類、オーディオ、カーナビはipadひとつ有れば事足りるので、インテリアの設計には大きな自由度ができます。

 地場の工芸品的なモノづくりによる様々な内装品が揃っていれば、手作り感覚の自分らしい落ち着きある空間に仕立て上げることも可能です。


  ネーミングもわたしらしく

   ネーミングについては
「お仕着せの名前は要らないのではないでしょうか、買った人が自分のペットに名前をつけるように”太郎”、”花子”、”シロ”、”クロ”、”タマ”、”ジェームス”などと、それぞれ勝手に名前をつけてもらったほうが車に対して愛着がわくのではないでしょうか?たとえば、この”シロ”は俺によくなついて俺の行く所どこでもついてくるんだよ。とか、私の”ジェームス”はまるで私のボディガードみたい、どこでもわたしの身を守ってくれるの。。。」


イデアは尽きないかもしれません。





三 超くるま社会のくるま創り <開発>


   これまでの商品づくりは、欧米流の分業で効率重視の方法でした。コンセプトメイク、デザイン、模型確認、設計、製造手順検討、等々と縦割りです。ここにもニッポンならでは日本人らしい方法を取り入れてみたいと思います。

 また自動車のマーケットでは厳しい競争が待っていますので開発は極秘で進められます。開発の段階からひとりひとり使い手の意見を織り込むことは困難です。

 デザイナーは受け身の部分が有ります。誰にも負けないデザインを創るという気概が有ってもコンセプトをつくる人に依存しています。デザイナーやエンジニアがコンセプトをつくる段階から入れば違う立場の知恵が入ります。

 縦割主義も秘密主義も両方とも打ち破りたいと考えています。創り手も、造り手も、買い手も使い手も、みんなで一緒に仕上げて行こう、というアプローチです。

 実物を売り出す前に模型を先に作って確認してもらいます。模型というのは通常、実物がはじめに有って、それを何分の一かに縮尺して作りますが、全く逆の発想です。ハリウッドというのは見えない世界を見えるようにして夢を見せてくれますが、日本人はモノにまでしてしまう、ということになります。

 設計や製造手順検討などこの後のステップも同様です、ニッポンならでは日本人らしい「みんな」で創り上げます。

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超論 その一 カーデザインの同質化について

(コムツカシイ極論です。よろしければ読み飛ばしていただいても結構ですよ)

 「欲しいクルマがない」と多くの人から聞きます。自動車は技術的には成熟した製品です。スポーツカーもあれば、悪路走行用も有ります。乗車人数に応じても色々とりそろえられてあります。バリエーションは万全です。
欲しい自動車が無い、最大の課題はデザインだと感じています。魅力的なデザインが何故生まれないのか。私なりに考えてみました。

 デザイナーの気持ちを想像すると、どこにも無い色形、誰の真似でもない色形でありたいと望んでいるのではないでしょうか。アーティストとしてのプライドもあるのでしょう。過去のデザイナーや隣のデザイナーとは違う新しいデザインを追い求めることになります。

 買い手側にも原因が有ります。アメリカやブラジル、日本で言えば東京にように新し物好きのDNAを持った人々が多い地域では、新しいというだけでマーケットが成り立ちます。毎年毎年、なになに年型と言う風にモデルチェンジが喜ばれました。
 
 そうでない地域でも、買い替えて新しいモデルを持っていることを人に見せたい人がいます。デザインの良し悪し「きれい」かそうでないかより、新しさが優先されてしまう事が多いのです。お金持ちが敬われるような社会では、いつもいつも新型自動車に乗っていれば目に留まります。ステイタスにもなります。

 自動車が発明されて以来、デザインの歴史は限られた外型の中で出来るだけ大きな居住空間をとる歴史でした。馬車に替わる交通機関として欧米で発達しましたので馬車がベースでした。

 話が脇道にそれますが、欧米では貴族の乗る馬車のための道路網が整備されていましたが、日本ではそうでは有りませんでした。日本の貴族はゆったりと牛車や輿に乗っていました。地域と地域を結ぶ交通網は徒歩と籠、急ぐ場合と上級武士は馬でした。道路はそんなに広くなくても良かったし、多少デコボコでも大きな支障は生じませんでした。明治になって馬車が使われたり、自動車が入って来ても一部上流階級用で、田舎の隅々にまで舗装された広い道路は造られませんでした。というより交通機関の技術革新に道路整備が追いつかなかったのかも知れません。
そんな厳しい道路事情が有ればこそ、日本製の自動車は悪路でも壊れにくい堅牢な構造になったのではないでしょうか。故障の少なさや作りの良さは職人さんや商人さんの「まごころ」籠めた日本人らしい、作り手売り手がいらっしゃったからだと思います。

 本道に戻ります。最初、自動車は横に並んだ座席の下にエンジンが有りました。貴族向けの限られた人向けの限られた場所の交通機関でした。RRリアエンジン・リアドライブです。

 次は、前にエンジンを置き後方車輪を駆動するFRフロントエンジン・リアドライブになりました。前にエンジンを持っていけば大型の高性能エンジンを載せられます。アメリカで大衆乗用車のさきがけになったT型フォードなどはこの形式です。大型エンジンで長距離ドライブも可能になります。アメリカの広い国土でも使えるというわけです。前に置かれたエンジンから後ろの車輪に回転力を伝えるために、真ん中に置かれた座席の下中央に車軸が通ります。

 さらにFFフロントエンジン・フロントドライブという前方車輪を駆動するタイプが主流になりました。アメリカほど道路が広くないヨーロッパで生まれました。同じ居住空間で自動車自体を小さくするためです。フロントにエンジンも変速ギアなどの駆動装置をまとめてコンパクトにしてしまうことと、前に有るエンジンと後ろの車輪をつなぐ車軸を無くす事ができるので、同じ大きさの自動車でも居住空間が圧倒的に広くなりました。

 順々にメカニズムが複雑になります。技術革新が有ってこその進歩でした。

 丸いハンドルにペダルという共通の運転スタイルになって、どの自動車メーカーも世界各国で走れるようになりました。それと同時に同じ土俵で比較されることになって、競争が激しくなりました。技術革新が一巡し、成熟した商品に競争はますます激しくなりました。いわゆる同質化のなかの過当競争です。

 デザイナーも激しい競争の中でしのぎを削るようになりました。自動車産業が大企業化して、デザイナーの多くはサラリーマンです。競争はライバルメーカー相手だけでなく、社内競争も厳しくなりました。デザインの良し悪し「きれい」かそうでないかより、デザイナーの競争つまり社内の勝ち負けが優先されてしまう事が多いのです。社内で認められなければそのデザインは世に出ないからです。他のデザイナーより優れたデザインをということで、ディテイルの競争に陥っている印象が強くなっています。

 デザインはそのものの置かれる周りの景色、自動車であれば風景にマッチしたほうがきれいに見えるのは説明の余地がないと思われます。使われる国、走る風土に合った自動車が望ましいはずです。

 しかし作り手から考えれば、グローバルカーと言われるように、一つのデザインで多くの国や地域で沢山売れる方が経済効率からは理想的です。激しい競争の中では経済効率が優先されます。

 アメリカ車が元気な頃は明るい印象のアメリカンデザインとシックで落ち着いたヨーロピアンデザインの両方が見受けられましたが、今となっては、大型で燃費の良くない往年のアメリカ車は数少なく、小型車主流のヨーロピアンデザインで埋め尽くされ、デザインの同質化が進みました。

 そんな止むを得ない事情ですが、自動車メーカー同士闘っているうちに、お客様から見放されるようにならないといいと願っています。

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四 超くるま社会での   製造と販売


・造り手の「までい」と売り手の「までい」をダイレクトにつなげる

 繰り返しになりますが、見慣れない聞き慣れない言葉ですのでお許しください。「までい」両方の手を意味する古い日本語、真手、から発しています。両手の意味から転じて、両手で大切に、手間暇惜しまず丁寧に心を籠めて。

 おもてなし、という綺麗な日本語も有りますが、何処か待ちの姿勢、受動的な印象を持ってしまいます。いらっしゃるお客様を迎えてのおもてなし。それだけでなく、こちらから進んで手を差し伸べる、応援する、助ける、手伝う、相手の役に立つ。そんな能動的なニュアンスも有ったらとかねがね思っていました。また、おもてなしという言葉はモノづくりとは別の世界という印象です。商人力のおもてなしに加え、モノづくりの力、職人力もニッポンの強みです。

 両方合わせて同じ言葉を使うには訳が有ります。日本人の心「まごころ」を一つにつなげたい想いが有るからです。「までい」はモノづくりにもおもてなしにも通じる共通の言葉です。ニッポンの産業力の象徴となっていく可能性を秘めています。

 クールジャパンの代表、日本食は農家のまでい、漁師のまでい、包丁職人のまでい、陶器職人のまでい、箸職人のまでい、料理人のまでい、がつながって出来ています。
漫画も同じです。アニメも同じです。
そして自動車も同じ「までい」つながりにしたいのです。上下関係の感じられないフラットで、もっともっと絆の強い産業にしたいのです。
 

 ・電気自動車で「三丁目の夕日」の鈴木オートが世界企業になれる!?
     
 自動車は重くて熱くて振動の大きいエンジンを積むため、これをしっかり支える枠組みが必要です。そのために製造設備は大がかりになります。また、二万点あるいは三万点と言われる膨大な部品で成り立っていることからピラミッド型の産業構造とならざるを得ず、階層社会を感じさせる部分が無いとは言えません。

 余談ですが、階層社会で貴族の乗り物だった馬車がはじまりですので、自動車の安全は乗る人の安全が優先されてきた歴史も有ります。閉ざされた空間として移動するので階層社会が促進されるという指摘も有ります。

 自動車産業を庶民の産業にしていくというのは如何にもニッポンならではの行き方と言えるのではないでしょうか。電気自動車は大きな設備も要らず部品点数も少ないので町工場での組み立てが可能になります。買い手・使い手が作り手の職人さんと直に向き合いながら一緒に、ああだこうだと造っていくので楽しさも創れます。日本人らしい、分け隔ての無いフラットな産業構造に移行できる可能性を秘めています。日本のモノづくり産業力の最大の宝、職人力を活かす産業構造です。日本人の得意技、もてなしの心がいかんなく発揮されます。

 インターネットを通じて自動同時翻訳が出来れば海外のお客様にも対応可能です。ネットを使ったビジネスの良さは、買い手と売り手がつながる、更には作り手もつながるとところに有ります。ダイレクトなつながりです。
寿司屋のイメージです。回転寿司ではなく、昔ながらの対面式の寿司屋です。常連さんの来店を予想して仕入れや下拵えをしておく。実際に来店したら、顔色などからの健康状態あるいは会話から気持ちの状態まで推し量りネタを選ぶ。お客様の様子で、いわゆる場の空気で、会話に入ったり入らず黙々と握ったりと。。寿司職人とお客様の絆があればこそです。


 ところで、「三丁目の夕日」という映画が有ります。そこに登場する鈴木オートという自動車修理工場が有ります。裸一貫ではじめた零細企業です。主人公のひとり、青森から集団就職で出てきた女性は修理工です。親も同然の上司鈴木社長は鈴木オートを世界企業にする夢を持っています。

 いままでのピラミッド構造の産業社会では、世間知らずの中小企業のオヤジとしか見られませんでした。「鈴木オートを世界企業にする」この言葉を聞いて心の中で微笑んでいたのは私だけではないと思います。しかしフラットな産業社会に変われば、お客様とのダイレクトなつながりを持っていますので、これが最大の強みになります。海外のお客様とネットでつながれば世界企業になるのは夢でなくなります。

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超論  そのニ  これからの中小企業 そして経営者について  

 ニッポンの宝、産業力の根幹である中小企業を強くすることはニッポンの産業基盤を強くすることに他なりません。

 就職を考える若い人達にとって、これまでは中小企業より大企業の方が魅力的でした。理由は安定性だけでなく待遇の差も有りました。経済至上主義、カネが基準の経済社会では一層それは促進されました。

 基本に立ち返って考えれば、ほんらい中小企業の貢献度が高いのですから社会的地位も待遇も高くなければ不自然だったはずです。リスクの観点からも、安定性の高い大企業の待遇は低くて当然、リスクの大きい中小企業の方が待遇が高くなければおかしいはずです。ビジネスライクな西洋はどうなんでしょうか。多分リーゾナブルな仕組みになっているのではないでしょうか。ニッポンには中小企業が多いという彼我の違いも有るかもしれません。

 日本の産業構造は、ピラミッド構造に適した日本人のメンタリティーに支えられてきた側面が有ります。 元をたどれば儒教思想、忠考の価値観です。家族主義の企業がうまくまとまって組織力を発揮しているもこのメンタリティーではないかと感じます。欧米のように割り切った役割意識、ビジネスライクと呼ばれるメンタリティーとの違いです。組織力としてどちらが強いか比べようがありませんが、日本的経営の基盤をなしていたことは確かです。それが取引関係つまり下請け関係でも、社内の上司部下と同じ上下関係が心情的に出来てしまうということが有ります。

 給与体系さえもそのメンタリティーを反映していると思います。日本社会の中で職人を尊重してきた歴史が日本の産業力の基盤を築いてきたことは疑問のないところですが、中小企業の社会的な地位や待遇が若い人達にとって就職先としての魅力を損ねて来ています。経営の不安定さも大企業に対する中小企業の魅力を損ねていますが。これは経営力の問題です。

 大企業の経営者も中小企業の経営者も求められる資質に大きな差は本来ないと思います。なぜなら上司部下の三角形の連なりで組織は構成されています。多くの大企業経営者は上部の三角形にしか目が届いていません。間違いのない下部の三角形に支えられているからです。

 これからの先の見えない時代。未来を創っていく時代にはリーダーに創造力が求められます。いままでどおり変わらない経営を続けていては取り残されていくばかりです。私なりの見方ですが、組織の成功の九割をリーダーが握っているという仮説が有ります。リーダーに創造性が求められる訳ですから、ひところのようなMBAあるいは高学歴というだけではリーダーとして不十分です。

 これまでの右肩上がりの時代では、日本株式会社、護送船団方式などと呼ばれたように、官民も含めてのピラミッド構造がうまく働いてきました。リーダーが大きな失敗をしなければ、企業の各部署も、企業も、企業グループも、そして日本株式会社も成長できて来ました。リーダーが交替して退任するときの挨拶「皆さんのおかげで大過なく。。」に象徴されています。これからは通用しなくなります。 

 私の存じ上げている有名企業の経営者は、これからは一流大学出には経営を任せられない、いや大卒でもだめだ。とおっしゃっています。きちんとした思考力と創造力が求められるからだと思います。さいわいニッポンは江戸時代以来、識字率の高さで示されるように教育レベルが高くかつ幅広いです。あとは創造力です。

 日本は地域地域で文化が異なり、モノづくりにも特色が有ります。得意分野を組み合わせて製造することで、地域と地域の連携に役立ちます。ピラミッド型の産業構造が無くなれば、産業界も民主化され、創造力が増すものと期待をしています。

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「ニッポンならでは」には創造性が求められますが、心配有りません。

 日本人には日本人らしい創造性が有ります。「有ったらいいな」と言う「まごころ」から発した想いが起点になります。「みんな」で知恵を絞って行く過程で創造力が生まれます。

「有ったらいいな」の想いを起点とした創造は難しいことでは有りません。素敵な実例を紹介させていただきます。柿渋ばあちゃんと新聞バッグの事例です。

 柿渋ばあちゃん。これは高知のデザイナー梅原真さんからお聞きしたお話です。作り手、秩父の山奥のおばあちゃんがつくった柿渋石鹸。そして梅原真さんが買い手であるお年寄りの女性そして、使い手の彼女とその旦那様の絆をつくりました。そして皆さんが喜びました。わたくしはこれを日本人らしい産業だ!と感じました。

 秩父の山奥のおばあちゃんは幼い時分、貧しかったのでおやつを買ってもらえませんでした。学校から戻ってお腹がすいている時は庭の柿ノ木になっている柿をもいでおやつにしていました。柿のならない季節には干し柿が有りました。

 日本全体が豊かになるにつれ、おばあちゃんの生活もなに不自由ない便利なものになりました。しかしおばあちゃん、ある日その柿ノ木の柿が誰にももぎられずに地面に落ちているのを見つけました。そして悲しくなりました。幼い日々に助けてくれた柿の木がかわいそうでした。忘れていた柿ノ木ですが小さい時分の頃を思い出し感謝の気持ちが湧いてきました。「まごころ」です。

 なんとかして柿ノ木に感謝の気持ちを表したい。落っこちている柿ノ木を活かしたい、とそう思い様々な活用法を調べました。その結果、柿渋が加齢臭を除くのに効き目があることを知りました。柿の葉などは昔から殺菌作用などで重宝され多くの商品を生んでいました。

 おばあちゃんは仲間といっしょに「みんな」で石鹸、柿渋石鹸をつくりました。

 ところがさっぱり売れません。そこへ登場したのが梅原真さんです。「加齢臭に効く柿渋石鹸」と書かれている商品は買いにくいと感じたようです。加齢臭に効くことは知れ渡ってきましたから「男の石鹸」と名づけました。パッケージデザインもオトコくささを感じる、いかつい模様いかつい文字にしました。

 そうしましたら爆発的に売れるようになったそうです。買い手の女性にも加齢臭は有ります。店で柿渋石鹸が目にとまっても、そのままでは手に取る勇気が有りません。お店の人の視線が予測されるからです。「男の石鹸」と書かれて有れば鬼に金棒となります。

 梅原さんの「まごころ」が作り手のおばあちゃんと買い手の絆を作りました。


   新聞バッグのお話。四万十川には季節になると鮎をめざして釣り人がたくさん訪れます。その人たちがお弁当やら飲み物やら買物をします。その包み紙、昔は紙でしたが最近はポリ袋いわゆるレジ袋です。それが風に舞って川面に飛ばされます。そうすると大切な川の生き物が困ります。

 おばちゃんが考えました。生き物がかわいそうと言う「まごころ」からです。昔のように古新聞にしようと。でも買っていく人たちは、田舎くさい、と馬鹿にします。またまた考えました。袋にしてみました。しかし何とも体裁が良くない。デパートの紙袋、取っ手のついた洒落た形のあれです。でもよれた古新聞ではシャンとしません。

 「みんな」であれこれ知恵を出し合いました。いろいろ試した中で折り紙の得意なおばちゃんが隠し技を使いました。出来上がりました。

 これをみんなで新聞バッグと名づけ他の地域にも広めようとしました。世はエコブームだからです。しかし数年かかって努力しても分かってもらえません。ところが驚くことにヨーロッパのある国から注文がありました。「古新聞を送るから新聞バッグにして送り返してくれないか。相応の費用は払う。往復の航空便も手配する」というものでした。オイシイ話です!ところが丁重にお断りしました。エコだからです。おばちゃんの心意気に拍手です。


 見て楽しい、使って楽しい、買って楽しい、売って楽しい、造って楽しい、が実現できます。













五 超くるま社会での   産業の在り方


「こころ」が通う地域ぐるみの産業     

 個人の篤志によるお金、コミュニティーファンドを使い町工場を資金面で支える枠組みが実現できれば、株式会社とは違って目に見えるかたちでの産業支援ができ、目に見えないカネでカネを回すのでなく、ココロでココロを動かす、心が通う産業が実現できます。地域の活性化の切り札になります。

 これまでベンチャーは地域で知られて無く、そのため支援もされてこなかったのが実情のようです。ベンチャーそのものがアメリカ的発想になっているので株主重視で地元の方々との絆が薄いことがあります。絆を創る仕組みとしてコミュニティーファンドが創られました。

 代表的な事例が島根県民ファンドです。正式名称は島根県民ファンド投資事業組合1号。商法上でなく民法上で設立されました。利益確保を第一義とするものでは有りません。契約書文面に有る「新ビジネスの創出や地域の課題解決に資する事業にチャレンジする島根県内の企業に対し、投資という形で資金提供し、応援することによって、投資先企業の発展を推進すること」が目的です。

 ファンド運営の報酬はなくボランティアで務められています。当初、出資者は地元の一般市民、そして島根県出身で県外にいらっしゃる方々や島根県に縁のない主宰者の知人を含め76名の個人と県庁職員のグループでした。

 県民ファンドの出資は個人に限定し、ひと口10万円、5口までとされました。1000万円集まったところで新聞発表をされたそうです。県内外からの問い合わせが多数有り、144口1440万円になったそうです。

 応援するのは資金面だけではなくて、結果的に信用面での応援もできたそうです。県内で注目され有名になること、そして県民ファンドでお墨付きをもらえたことが大きな後ろ盾になったからです。営業活動でも暖かく迎え入れられ、日常的な仕事面でも地元の方々のアドバイスを受けたり助けてもらったりしているそうです。

 地域が文字通り孵卵器、インキュベーターになっています。出資者にはリターンは期待できないことを事前に明確に伝えます。地域にはリターンが有ることをしっかり説明しました。地域の未来を担う人材をみんなで育てることが最も大きなリターンです。都会では薄れてしまいましたが、横丁の子供は横丁みんなの子ども、というような感覚が呼び覚まされたようです。

 通常の投資ファンドはその運営に費用の30%ほどがかかるそうですが、島根ファンドの場合、運営経費が5%ほどで済み、95%がベンチャー企業そのものの資金として使えることも大きいようです。

 経済産業省の支援も大きかったようです。役立ったのが日本の伝統の頼母子講(たのもしこう)や無尽(むじん)の発想。みんなでお金を持ち寄り必要とする人に融通する仕組みです。ひとりの投資家、いわゆるエンジェルでなく多くの個人の篤志が動かす、ニッポンらしいやり方です。

 ゴミの分別や節電などの環境問題と同じで、ひとりひとりの力が全体を動かします。島根県の場合、人口は75万人そのうち高齢者が20万人、20人に一人が賛同してくれれば1万人になる、という構想だそうです。

 ファンドの形態を当初は有限責任投資事業組合と考えたそうですが、当時の制度では出資者が100人とされていました。

 この計画は当時中国経済産業局にいらっしゃった田辺幸二さんがはじめられましたが、地元で無担保で融資を行っていた方との強いきづなが推進力になりました。

 募集目標を1億円としたところ「創業間もない企業に多額の資金を提供することは本人のためにならない」という暖かい声で、100万円単位の、経済観念の実感できる金額からスタートし、目標として1000万の募集目標に下げました。

 地元ではファンドのアドバイザリーボードとして応援委員会なる組織が置かれました。事務局は地元のベンチャーキャピタル事業家で地域事情に詳しい人材が当てられました。

 県民ファンドとしては組合員全員が責任を持つ民法上の組合として設立されました。商法上の制度では運営責任者が無限責任になってしまうため、無報酬を前提とした場合、どうにも困ったことになるからです。

 このようなコミュニティーファンドがひとつの地域だけでなく他の地域にもできれば、コミュニティーファンド同士の連携により、それぞれの地域の強みを持ち寄り、さらに強い産業が出来上がって行きます。










六 超くるま社会では 国ぐるみニッポンの産業


「みんな」で情報とノウハウを共有            

   新しい産業は地域地域で興しますが、地域と地域の知恵をつなげて新しい知恵をつくる仕組みをあらかじめ作っておきます。COREiDEAが母体となり、情報やノウハウを共有できる仕組みをあらかじめ作っておきます。地産地消もいいですが、他の地域の知恵で造ったくるまを自分の地域の知恵を加えて、もっと使いやすいくるまにしたいと考えています。

 さらに、地域を超えるばかりでなく、いち企業を超えた、政官民を超えたニッポンの仕組みです。もちろん海外のお客様とも繋がります。行く行くは海外の電気自動車産業と繋がり、コラボレーションが出来たら更に魅力的なくるまが出来ます。


たとえば「かわいい」をKAWAIIブランドで   

 くるまだけでなく、ジャパンオリジナルの商品で女性脳がカワイイと感じる商品とのコラボレーションが考えられます。
業界を超えて「ニッポンならでは」の知恵を結集し、それを海外に訴求していきます。

   
「メイド・イン・ジャパン」 から 「ジャパン・クリエイティッド」 へ

 品質のメイド・イン・ジャパンから、創造のジャパン・クリエイテッドへのシフトです。
大量生産大量消費の量の時代から高質創造時代への脱皮のきっかけになればと思います。


 夢ですが。フランスの郊外、アウターパリで この「くるま」を走らせて見たいという願いをいだいています。

 古くからフランスは日本の文化に興味を持ってくれます。

 日本製の陶器の包み紙に描かれていた浮世絵に目が留まった画家達は、背景が描かれて無い事や、鮮やかな色づかい、見た事も無い筆のタッチに驚きました。
濁りの無い色づかいからは、絵の具の白や黒を使わない描き方が生まれました。
光を描かないとだめだ。。印象派の誕生です。日本の国は明るい太陽に恵まれた土地に違いない、とゴッホは南仏に移り住みました。 

 漫画は新しい文化として根付き、現地の書物とは別の、日本と同じ右から開く本に変わったそうです。漫画専門の書店は珍しいものでは無くなりました。一方アーティスト鳥山明の紹介本は日本語からではなくフランス語から先で、現地の書物と同じ左から開く本で出版されています。クールジャパンのシンボル。最先端の文化です。

 フランスに詳しい知り合いからは、フランス文化そしてヨーロッパ文化は行き詰まっている、と聞きました。異質の文化の衝突で新しい文化は創られます。
日本文化がフランスの人々のお役に立つかもしれません。

 日本人は舶来に弱いと言われて来ました。マーケティングが良い例です。次々に、なななにマーケティングが紹介されて来ましたが、そのこころは江戸時代から日本に有ったものばかりです。媒体技術が新しいだけです。技術起点のアメリカ人が考えた新しいマーケティングばかりです。

 黒船を創ってしまえばいい!と思っています。日本製の黒船です。

日本人にもフランスなどヨーロッパの人々にも、役に立つ楽しいたくらみです。






























七 超くるまで  超安全なくるま社会


 3.11を契機とした「いのち」一番の社会創りには、文明の利器全般についての総点検が必要です。

 原発事故だけでなく自動車も人々に災難と恐怖を運びました。今回の震災で自動車が凶器になったところが有ります。津波で流された自動車に轢かれたり押し潰されたばかりか、津波で押し寄せた自動車が発火し避難場所(石巻市門脇小学校)が炎上したりしました。
日本経済新聞 2011年5月30日 第33面)

 もともとエンジンという重くて熱い金属の塊を載せていますし、点火だけでなく引火による爆発火災の危険を持つ揮発油を搭載しています。ひとたび事故が起きれば、その熱く重い塊が吹っ飛んできたり、自動車が火だるまになる危険性を持っています。

 勿論そのリスクを最小限にすべく自動車メーカーは不断の努力を払ってきました。堅牢なボディーや非常時に乗員を守る構造を持った安全車が増えています。

 しかし多くの道路では乗用車と一緒に大型トラックや大型バスが走っています。いかなベンツといえども10トン20トンという大型トラックが相手の場合はひとたまりもありません。危険この上ない状況に日常的に直面しています。

 概念的本質的には原発と変わらない危険性を孕んでいます。いずれ交通システム全体としての見直しの必要性が求められるに違いないと感じます。

 原発や交通システムなど文明の利器だけでなく、人間が作ってきた様々な制度・決まり・仕組みも人間至上主義への転換が求められています。縦割り組織や、様々に決められた制度が今回の震災復興のあしかせになっているようです。網の目のように張り巡らされた法令でがんじがらめ、縦割り行政ともあいまって復興にブレーキをかけています。社会全体で取り組まなくてはならない重い問題です。


 道路交通もいくつかのアプローチが有ると思います。

小型車にとって、先ずは大型自動車と一緒に道路を走らない工夫が最初に思い浮かびます。大型自動車が走れない狭い道路はいいですが、広い道路では大型車通行禁止の交通規制を見直します。大型自動車には重要な役割と使命がありますから国全体と地域両方で平常時と緊急時両方について精緻な調査が必要です。小型車がわには大型自動車の走る道/走らない道をカーナビに示すとか、今現在、大型自動車が近づいてきているか/そうでないかを知らせることができます。

 電気自動車になれば全てを電気で制御できるので、走る地域や道路を制限することは容易になります。警告だけでなく、自動車そのものを停めたり速度を緩めたりできます。


 社会全体の大きな利点として電気自動車が非常時に家庭用バックアップ電源になることが有ります。今回の震災はとても寒い思いをされた方が多かったので、暖をとるとか医療器具の電源に使うとか「いのち」一番に少なからず役立ちます。 


 ガソリンや軽油などを積まなければ燃料発火の心配がありません。軽く造れるので、ぶつかった時に相手を大きく傷つけることも少なくなります。ボディをそれほど頑丈にしなくても良いので、エコプラスチック・木材・新時代の紙などで構成する可能性を持っています。広島大学升島努氏発明の走るエアバッグも有ります。

 柔らか素材でできた軽いボディーとゆっくり走行で、歩行者やまわりの生き物にも優しいくるまづくりができます。空気を綺麗に保つだけでなく静かさを守り、生き物を大切にする、環境への優しさステップアップです。


 しかし一気に理想的な姿になりませんので過渡期の対策が必要です。平泉の自転車タクシーとかパリのレンタル自転車のように、限られた地域できちんと管理された使い方から始める必要があります。

 観光地では平泉や奈良のように観光ポイントが少し離れて点在していたりすることが多いので、第三の交通機関、観光立国の目玉としても活用可能です。景観にあったジャパンクールを感じさせるようなカワイイ色と形で、地域地域のご当地「くるま」を仕立てれば新しい観光資源にもなります。


















八  超くるま社会のはじまりは ニッポンのふるさと奈良を起点に


  起点は奈良からと考えています。

 ひとつの理由は「いのち」。奈良公園の鹿のいのちも大切にしたいからです。日本人は人のいのちだけでなく生き物全てのいのちを大切にしてきました。食事の前の、いただきます、は米も含めて様々ないのちをいただくので、大切にします、という祈りと感謝の意味合いだそうです。鹿とぶつかっても鹿に大きなダメージを与えない事を目標にしたいと思います。

 ニつ目はニッポンの「ふるさと」奈良。日本社会の起点です。
観光地としての奈良の役に立ちたい事です。奈良公園近辺の東大寺大仏や春日大社は歩いて行ける距離ですが、法隆寺など多くの寺々は点在しているので、レンタルやタクシーあるいはカーシェアリングで、このくるまが有ると巡りやすいのです。

 三つ目は古事記です。ニッポンの「こころ」。文明を見直すメッセージとしてです。律令制度が初めてもたらされた当初、現在の所謂官僚化のあやうさを観てとった時の天皇が、将来、律令制度が入る前の日本に戻れるよう編纂を指示して作られたのが古事記です。その古事記発祥地奈良で新しいニッポンを考えるきっかけにしたいという強い想いが有ります。

   さらに、あたたかくて懐かしい地域コミュニティーが息づいているのも嬉しい要素です。





















おわりに

 2010年、クールジャパンをきっかけに、ニッポンの核(CORE)になる考え(IDEA)を見つめ直し、次の世代に夢と希望をつなげようとCOREiDEAプロジェクトを立ち上げました。新しい産業を興すことだけにとどまらず、教育の問題をはじめ世直しの必要にまで想いが広がりました。一年の間に50人にも及ぶ多くのご有志のお力をいただくことが出来ました。

 日本は電機も自動車もその他の産業も、同じような商品を作りながらも国内で切磋琢磨した成果をアメリカを中心とした海外マーケットに持ち出し外貨を稼いできました。テレビなどは日本人の感性を生かした綺麗な画面ときめ細かな操作感やいたれりつくせりの装置、自動車は壊れにくくて燃費の良いバランスの取れた性能と装備、つまり製品としてすぐれている事に加え、何よりも製造現場の強さによる品質の良さで大量生産大量販売の産業社会で秀でた位置を占めて来ました。

 しかし台湾や韓国そして中国に追いつかれようとしています。一部ではすでに追い越されてしまいました。これまでは日本のモノづくり力を源泉とした品質と価格が日本の産業力の核(CORE)でしたが、これだけで競争力を保つのは困難な時代になって来ました。新しいCOREを創り出す必要に迫られていると感じています。

 過去を遡れば、カラオケや即席カップ麺、ウォークマンハイブリッドカーなどジャパンオリジナルを創ってきた実力があります。大量生産大量販売は効率が求められますので、創造性は二の次になって来ていましたが、これからはお家芸の想像力IDEAを活かす、得手に帆を上げる時代がやって来たというわけです。

 新しい産業社会を創り雇用を増やすと同時に、やりがいの有る楽しい仕事で、若者を元気にして、夢と希望にあふれた明日をみんなで力を合わせて創る準備を着々と進めて来ました。

 2011年、東日本大震災です。3.11は日本人の本質と文明の在り方を考え直す機会を与えてくれました。フクシマは文明を揺るがす大事故です。利器としての文明の在り方を根源的に変えていかなければならないと強く感じさせました。「いのち」を一番に考えないと人類は破滅に向かう。梅棹忠夫の警告を現実のものとして感じました。

 原子力は、ヒロシマにより平和利用への大転換がうながされました。今度は「いのち」一番への大転換です。これまでは経済性優先の考え方に支配されてきましたが「いのち」一番にして出直しです。

 原子力だけではありません。たとえば自動車も「いのち」一番に作り直していく必要があります。大津波では、流された自動車に押しつぶされただけでなく、自動車火災により避難所そのものが燃えてしまうというような惨事に見舞われました。考えて見れば、どんなに安全な乗用車でも大型トラックなどと衝突してしまえばひとたまりもありません。同じ道路を走っているからです。道路交通そのものを「いのち」一番で考え直す必要が有ります。

 原子力発電にしろ自動車にしろ「いのち」一番への転換には長い時間と多くの困難を覚悟しなければなりません。しかしヒロシマナガサキが世界を変えたように、日本こそが先頭になって文明の在り方を変えていかなければなりません。それが生き残った我々の使命です。

 梅棹忠夫は文明を装置と制度と定義しました。文明のうちのもうひとつ、制度が復興を妨げています。ヒトが作った様々な決め事が復興への活動を束縛し、多くの時間を要することに立ち至っています。ヒトが作ったものがヒトの幸福をはばむという皮肉です。装置そして制度、つまり文明そのものを「いのち」一番に組み立て直す歴史的な大転換を始めなければなりません。

 COREiDEAはテーマとして他に、コミュニケーションロボット、世代を超えて自然から学び絆を築く仕組み、一人暮らしの人を見守る仕組み、などを考えています。

 しかし何よりも、千年に一度の大災害3,11に向き合うことが全てに優先して重要と考えています。約千年前に古事記は、大陸から律令制度を導入していわゆる官僚化の兆しを観てとった時の天皇が いつでも律令前に戻れるよう、稗田阿礼の口伝を太安万侶に書き留めさせたと伝わっています。

 ここから二つの知恵を学びました。ひとつは口伝の重要さです。稗田阿礼は飛び抜けた記憶力を持っていたと言われます。文字が無い時代、ヒトは口と耳で情報を伝えて来たに違い有りません。その時代の人々は全て、現代人をはるかに超える素晴らしい記憶力を持っていたのではないかと想像します。何故なら古代の遺跡はすべて今回の津波の到達ラインの内側に残っているということ。おそらく貞観地震のその前千年前の巨大地震巨大津波の事が代々言い伝えられての事ではなかったかと思います。

 ワープロやパソコンに頼ると文字を忘れてしまう、というのがヒトの頼りなさを表しています。道具に頼るとその分失われるものが大きいうことです。我々現代人も口伝の重要性を再認識すべきではないかと感じています。親から子へ代々大切な事を伝えて行くには口伝こそ最も確実な方法に違いないからです。文字あるいはデジタルデータは残すのは簡単ですが特に災害後に探し出すのが大変です。それに、何よりも、感情や想いが生き生きと伝わらないという弱点があります。目を見ながらこころで伝えることが一番です。

 もうひとつは文明の在り方の再点検です。科学技術に頼ってきた歴史はまだ浅いです。せいぜい産業革命以降と考えていいのではないでしょうか。まだ間に合うと思います。千年前の日本人を鑑に現代文明を見直す絶好のチャンスです。そのスタートの場所として奈良を選ばせていただきたいと思います。物事が問わず語りに象徴的に伝わるからです。奈良という場所は法隆寺東大寺春日大社といった千年の歴史を経て多くの日本人の知恵がつながっています。装置と制度その両方を見直す場所として最適です。

 きっかけは自らの鑑としてきた、ソニー創業者のひとり、故盛田昭夫の縁でした。彼を支えてこられた中野和久さんからご紹介の鈴木邦宏さんが鍵となる大きな絆をつないでくださいました。

 それまでニッポンの産業力を何とかしたいと強く思いながら具体的な行動とならず、もがいていました。思えば、初めてソニーに触れたのは初期のオープンリール型テープコーダでした。重くて大型だったので、父はそれを背負って帰宅しました。途中お巡りさんから怪しまれ職務質問を受けたという思い出とともに、その後のトランジスタラジオやテレビなどを通じて、ニッポンの素晴らしい産業力を身近に感じて来ました。マーケティングに魅力を感じ、それを学び身につける過程で盛田昭夫の存在を知りました。

   さて、クールジャパンです。クロサワやアキラ・トリヤマは言うまでもありません。スティーブ・ジョブス盛田昭夫の存在無しではあのような業績を残せなかったと知りました。目標はSONYでした。クロード・モネヴィンセント・ファン・ゴッホは浮世絵によって絵画のブレイクスルーを成し得たと言われます。そのヨーロッパが壁にぶつかっています。

 日本文化に根ざした新たな産業を興すことは世界に貢献出来るに違いありません。


世直しという大きなテーマをいただきました。
COREiDEAという名称をいただきました。
絆の大切さを教えていただきました、3.11より前ですから今となっては驚きです。
映画ナイトライダーから相棒としてのクルマ、女性脳男性脳からライフサイエンスへと導いていただきました。
海外から見た日本文化の素晴らしさを実体験としておしえていただきました。
女性の個室について目を開かせていただきました。
本としてのありかたをさりげなく分からせていだだきました。
COREiDEAのプロジェクトを牽引してくださいました。
フランスの現地の様子を感じさせていただきました。
気の利いたカーナビがあったらどうなるかインスピレーションをくださいました。
自動車のメカニズムの本質を感じさせてくださいました。
中小企業の有るべき姿を感じさせてくださいました。
クールジャパンについて分かりやすい言葉をくださいました。
大好きな漫画家さんへの背中を押してくださいました。
漫画やアニメの世界について詳しく教えていただくことができました。
ソニーの営業さんの苦心を知る機会を作ってくれました。
くるまのコンセプトについて的確な表現を教えてくれました。
遠くにいらっしゃっていつも素晴らしいアイデアをくださいました。
高齢者用自動車について本質をついた鋭いアドバイスをいただきました。
ロボットの可能性をいつも感じさせてくださいました。
カーデザインの在り方を教えてくださいました。
本物のデザイナーの生き様を感じさせてくださいました。
エコ商品への知恵と高知のクルマの有り方をアドバイスいただきました。
地域の重要性、地域活性化が日本を蘇らせると気づかせていだだきました。
絆復活と学びの舎のアイデアをいただきました。
株式会社だけでなく様々な起業の在り方をおしえてくださいました。
東日本大震災被災地の方々の真情を伝えてくださいました。
町工場の素晴らしさと心意気を教えてくださいました。
困った時いつも鋭いお知恵で助けていただきました。
貴重な資料を惜しげもなくくださいました。
本の書き方を怒らずに粘り強く教えてくれました。
何でも力になるよって強い目ぢからをいただきました。
いつも寄り添っていてくださいました。
多大なご協力をいただきました。

そして
日本リサーチセンター加藤洋史さん   日本地域社会研究所落合英秋さん 
本を書くなどと言う、大、大挑戦に挑ませていただくことが出来ました。励ましと勇気とお知恵をありがとうございました。

皆様本当に本当にありがとうございました。

拙い文を ここまで読んでいただいたお顔も名前も存じ上げない方に深くお礼を申し上げます。

以上 2012年初春 石川 蓮。