日本のブランドは中世から

司馬遼太郎「この国のはじまり」によれば平安時代末期
京の源 平 藤原 橘宗家との関係性を示そうと関東の農耕集団の頭領であり地主でもある人たちがそれぞれ同じ姓を名乗った
属に源平藤橘と呼ばれるそうだ
美人の起源は出雲美人(韓国系)それが京美人 明治維新後秋田美人が生まれるのであるが
歌舞伎の創設者「出雲の阿国」は出雲ブランドを語ることによって 集客力を増していた 地方巡業で出雲美人を見たいと思う人々が芸への興味では
なく集まり 芸の面白さを知り 歌舞伎をかたちづくることになった
放牧の動物に焼き印をおしたことから「ブランド」は始まったと言われているが 日本にも古来そして江戸時代の「のれん」につながるブランドが
ある
日本にブランド文化が途絶えたのは 聖徳太子の「和をもって尊しとなし」を読み間違え 同質化が進んだことと 外国から渡ってきたものを 日本より優れたものと考える習性により 江戸時代に完成していた「マーケティング」に目を向けなかったことによる